「祭の男」宮田宣也のブログ/明日がもっとスキになる

今,守るべき,つなぐべきこころって何だろう。祭の男,宮田宣也の祭ライフと,祭哲学について。

地元のお祭りが終わって,今思うこと。〜祖父が亡くなってから7年,今年のお神輿は〜

2018年9月23日。

今年の地元のお祭は,秋分の日でした。

僕のいちばん大切な日。

亡くなった祖父と,一年に一度の約束を果たす日。

それが,僕の地元,産土神社である横浜の小菅ヶ谷春日神社のお祭りです。

年間に何十箇所もお祭にお邪魔しますが,地元の祭はいつも特別です。

夜,神社に集まって来る子供たち,木から木へと連なる白熱灯,焼きそばや,焼き鳥の焼ける匂い・・・。

全てが懐かしくて,キラキラしていて。

幼かった僕は,大人になるまで神社への階段を同じように毎年毎年上がっていました。

そこにはいつも祖父がいて,たくさんの親戚や仲間たちに囲まれていました。

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幼い頃の僕は,出店でくじを買ってもらったり,焼き鳥を食べていたり,神社で肝試しをしたりしていました。

でも,7年前のお祭りには祖父はいませんでした。

家で寝たきりだった祖父は,階段を上がることが出来ませんでした。

次の朝,祖父はいなかったけれど僕らは同じようにお神輿を上げ,町内を周りました。

一度だけ,車椅子に乗った祖父が神輿の前に。

それが,祖父と神輿の最後の思い出。

家で,その年のビデオを見ながら,「かっこいいだろ」と笑っていたのを覚えています。

あれから,7年。

祖父が亡くなって,お神輿上げるの止めよう,と誰かが言っていました。

大きい神輿を続けていくのは無理だ,とみんなが言い始めました。

だけど,僕はそんなの嫌だった。

祖父が最後に,「かっこいいだろ」と笑ったそのお神輿を,下ろしてはいけない。

やっぱり無理だったか,と悲しい顔を見たくない。

だから僕は,覚悟を決めました。

誰かじゃなく,僕がやらなきゃ。と。

お神輿なんて全然よくわからなかったけど,ただただなんとなく好きだっただけだったけど,やらなきゃいけないその思いと向こう見ずな若さに,お神輿は振り向いてくれたような気がします。

 

 

7年間,本当に長くたくさんのことがありました。

色んな人たちに出会い,別れ,多くの失敗もしました。

今でも,反省することがたくさんあります。

 

だけど,今年のお神輿は,本当に美しかった!

 

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みんな楽しそうに,笑顔で担いでくれました。

いつもいつもお世話になっている先輩方,僕がまだ担ぎ方も知らないうちから教えてくれたアニキたち,一緒にお神輿担いでくれる後輩たち,ずっと前から友達でいてくれる仲間たち・・・。

本当にたくさんの人に支えられて,無事お神輿が上がりました。

今年は祖父の頃からの先輩方に何回も声かけていただいて,やっと,お神輿が祖父の頃の輝きを取り戻したんじゃないかなと思いました。

「神輿は一人じゃ上がらない」

その意味を考えてただ必死に答えを探り,西へ東へ奔走し,声が出なくなるまで叫び,動けなくなるまで担いで来たお神輿。

 

まだまだ,祖父が残した大きな大きな宿題の答えはわかりませんが,お神輿が持つ力の一端が見えるようになってきた気がします。

 

一年に一度だけ鳥居をくぐる,祖父のお神輿。

死ぬまで約束を果たし続けるのはまだまだ覚悟が必要です。

だけど,このお神輿があったから,僕は最高に幸せで豊かな人生を歩むことが出来ています。

これからも,偉大な先輩方の背中を追いかけながら,挑戦する気持ちを忘れず,倦まず弛まず,真摯に正面からお神輿を見つめ続けていこうと思います。

 

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また来年,祖父が喜んでくれるようなお神輿を上げることが出来るよう,反省を活かしながら一年精進します。

 

押忍