宮田宣也のブログ/明日がもっとスキになる

今,守るべき,つなぐべきこころって何だろう。

僕が学生時代初めてみこしを作った時のお話〜武蔵美の卒業制作のみこしを担いで思い出したこと〜

“すごい1日だった。 

ただただ、心が震えた。

すべてをかけて臨んだ神輿。

それが最高の仲間たちの手で上がったんだもの。

 

誰もがみんな一生懸命で。

 

誰もがみんな真剣で。

 

汗、血、涙、いのち。

そんな「人間」がここにはあった。

俺の純粋な思いが形になり、とんでもない神輿を創りあげた。

これで生まれた思い、絆。

 

それは本物だ。

 

みんなに見てほしかったんだ。感じてほしかった。

こんなにすれっからしの世の中だけど、一生懸命になって、ぐちゃぐちゃになって、創り上げる世界がある。

それで生まれる素敵なものがある。

 

みんなみんな大好きだ。

ありがとう、ただありがとう。

あんなに楽しくて、嬉しくて、感動した日々を、俺らは一生忘れないだろう。”

これは僕が学生時代つくったみこしが上がった次の日に書いたものです。

 

先日,神輿仲間の女の子が武蔵美の卒業制作でみこしを製作し,完成記念に渡御するというので担いで来ました。

出会った時から,「卒業製作にはお神輿を作って,一緒に学んだ仲間たちとキャンパスでみこしを担ぎたいんです」

と心を決めていた彼女。

実は僕も学生時代に仲間と一緒にみこしを作ったことがあります。

f:id:nobuya315:20180122230329j:plain

祖父が坂を上がれなくなった

毎年元旦には,地元の神社で氏子親戚たちで協力して,神社で縁起凧を売ったり,甘酒御神酒を配ったりしています。

祖父は高齢でしたが,毎年大晦日の夜から神社へ行き,初詣の方々を迎えます。

深夜2時頃になると,一度家に戻るのですが,横浜は坂が多く,祖父の家も丘の上。

帰るためには,急な坂を登らなければいけません。

しかしその年は,祖父は坂を上がり切れなかったのです。

僕はとても心配していました。

いつも元気な祖父が,衰弱していると気付いたのはこの時でした。

僕には何ができるのか

それまでも少しづつ体調が悪化していた祖父。

しかしいよいよ,日常にも支障が出るようになり,僕は少し怖くなりました。

僕は二十歳で父を亡くしていて,急に体調が悪化して何も出来ないうちに入院してしまった様子をみていたので,祖父のためにも「何かしなきゃ!」と激動が体を貫いたのです。

そしてその頃学生だった僕が思いついた,祖父への最大の貢献は,「みこしを作る」事でした。

小さな時から宮田の家に生まれた唯一の男の子である僕を大切に育ててくれたのは,祖父の御神輿を継がせたかったからなんだと思います。

だから,荒削りでも,自分でお神輿を作って,仲間を集めて,お神輿が上がっている姿を祖父に見せることが出来たら!

きっと,少しだけでも,元気になってくれるかな,恩返しできるかな,と思いました。

たった一人ではじめたみこし作り

しかし,その頃の僕は技術もないし,どうやって作ればいいのか全然わかりません。

よくわからないけど,図書館に行って関連の書を読み漁り,大学の芸術学科の授業に参加し、来る日も来る日も朝一番に木工室へ行って毎日ノミを研いでいました。

きちんと金物も研げるようになるのは本当に大変で,あまりにいつも木工室にいるので芸術学科の学生に間違われたりもしました。

とにかく一生懸命,何度も何度も失敗し,材料を無駄にし,大学内で作業を進めていました。

すると,当時の同級生が俺も手伝うよ,と声をかけてくれ,少しづつ仲間が増えていきました。

気がつくと毎日みんな大学やサークルが終わると作業場に集合し,深夜明け方まで毎日作業を進めていました。

時には20人以上も集まって皆黙々と作業をしていた事もあったのを覚えています。

渡御当日,祖父が来た

渡御当日,その日も前日は徹夜でした。

半年以上もかけて作り上げたみこし。

製作に関わったみんなも疲労が顔に出ています。

その日に向けて,半纏を作ったり,たくさんの仲間を集め,技術は無くても時間と手間と思いを出来るだけ込めて,精一杯作りました。

屋根だけはどうしようもなかったので,竹を使って製作しました。

渡御の予定は夜からです。

昼過ぎになると,祖父は到着しました。

なんだか恥ずかしくてその時の表情はきちんと見れませんでした。

祖父はいてもたってもいられず,最後の仕上げに自ら道具を取って手伝ってくれました。

ついにみこしが上がった

そしてついに,みこしが上がります。

その日は大学の学園祭。

クライマックスには,後夜祭のステージの近くで数百人の学生達の前で,みこしを披露します。

集まってくれたたくさんの仲間達。

共につくり,思いを寄せ,少しづつ,少しづつ作り上げたみこし。

その真柱に,最後に皆で名前を刻みました。

揃いの半纏で,担ぎ上げたみこしの重さを,僕は決して忘れません。

ステージの上から遠くに見えた祖父と祖母は,笑っていました。

みこしという物語

祖父はいつも言っていました。

「みこしの一番良いところはね,一人じゃ上がらない事なんだ。

おみこしを上げるには,たくさんの人の協力が必要。

担ぐだけじゃ無くて,準備や,後片付けも,色んな人が色んな風に関わってやっと御神輿が上がるんだよ」

僕は今までたくさんの神輿に関わって来ましたが,そこにはいつも物語がありました。

多くの人が力を合わせ,奇跡を起こしていく,約束を果たしていく様子がそこにあるのです。

「お神輿を担ぐ」ということは,たくさんの要素があるのだと思います。

しかしそこには必ず,人の営みがあり思いがあります。

その思いが純粋であれば,その物語は美しく,そして神輿も美しく動くのでしょう。

当時の僕が出来る祖父への精一杯の貢献は,みこしを作る事でした。

御神輿の中心にあるものは

今回の武蔵美のみこしも,僕が学生時代作ったみこしも,思いはどこまでも純粋です。

f:id:nobuya315:20180122230813j:plain

f:id:nobuya315:20180122230823j:plain

軸になるものは違えど,

僕の「祖父への思い」に賛同し,たくさんの人が協力してくれました。

御神輿を担ぐ事はとても重く辛い事です。

しかしそこに肩を入れ,共に楽しく担いでくれるのは,その中心にあるものが純粋だからです。

もちろん,ただただ担ぐのが好きだから,肩を入れる人もいるでしょう。

しかしそれ以上に,その中心には純粋で真っ当な思いがなければなりません。

僕はこれからもそんなみこしをつくり続けて行きたいし,担ぎ続けて行きたいと思います。