宮田宣也のブログ/明日がもっとスキになる

今,守るべき,つなぐべきこころって何だろう。

「インスタ映え」と「言挙げせず」の比較論

 昨今,様々なイベント,観光地,お店などで「インスタ映え」がキーワードとなっています。

人気のSNSであるインスタグラムに載せるためのいい写真を撮れる事が,成功の鍵を握っているかのように言われています。

一方で,日本の古い考え方として「言挙げせず」という言葉があります。

これは,大雑把に言えば「多くを語らず,言葉にしない」という事ですが,例えば祭りの未来を考えて行く上で両者の違いは何なのか,比較してみましょう。

f:id:nobuya315:20171208225646j:plain

 

インスタ映え」の目的

 そもそも何故,「インスタ映え」する必要があるのか。それはSNS,つまりインターネット上での情報の拡散を狙い,より多くの人に伝えたいからです。

現代社会の一般的な考え方に,ものの価値の基準は,評価する人数であるといった基準があります。

つまり,何人がその情報を見ているか,とか何人がいいね!したかなどで測られます。

確かにそれは数字となり客観的な評価基準を得ることができるので,現代社会に合った,合理的な方法であるとも考えることが出来るでしょう。

しかし一方で,神社や祭りなどで,写真の撮影は一切禁止されていることがあり,その方法で1000年以上守られて来たのです。

その根本的な考え方の違いは何なのでしょう。

「言挙げせず」とは

 厳密にいうと,神道においての「言挙げせず」は少し捉え方が異なりますが,今回は「多くを語らない」という意味で使います。

例えば先日訪れた奈良の御霊神社の記念祭で,新たに創られた能が奉納されたのですが,撮影は一切禁止となっていました。

また,神社の本殿の敷地は神主以外立ち入り禁止で,本殿の扉を開けることも見ることも一般の人には許されません。

こういったケースでは,物の価値=評価する人数,という在り方は成立していないのです。

言葉にせず,一切拡散しないことによりその価値を守って行く姿勢は,物の価値を考えて行く上でとても重要な材料となります。

情報をOPENにする姿勢と一切をCLOSEにする,両者はどういったアプローチなのでしょうか。

ものの価値の根本的な考え方

上記のように,「インスタ映え」の場合,ものの価値基準=評価する人の人数で決まります。

いかに不特定多数の人達にその情報を広げて行くか。

つまり,その価値は客観的です。

母数を増やすことで,情報の価値は変わりますので,広告,という手法で価値を左右することが出来ます。

しかし,「言挙げせず」の考え方は,全く違い,ものの価値は絶対的です。

眼前に在る事実,それが祭りであったり風景であったりすることもあると思いますが,その絶対的な価値は変化することを望んでいません。

なので,そこにいる人達,またそれを守り知り伝え聞いた人達以上に拡散されることを諒としません。

なので、その情報を知るための母数は増やす必要が無いのです。

そしてその価値は人々がずっと大切にすることで守り,高めていったのです。

むやみに情報を拡散するとどうなるのか

絶対的な価値のあるものを客観的な価値基準で測ろうとすると,第三者が見たときにその価値がよくわからなくなってしまいます。

つまり,乱暴な言い方をするならばどんなに素晴らしいものであっても,何にも知らない人は,いいね!が1000あった方が素晴らしいと思うわけで,いいね!が100しかないものはその程度であると思ってしまうわけです。

また,情報は拡散されることで,「簡単に手に入る」ようになります。

人々がずっと大切にして来たものが,指一本で見聞き出来るようになり,指一本で扱われます。

そういった行動は,絶対的な価値を失わせることになります。

大切なものを守って行くには

大切にされて来たものをこれからも大切にして行くためには,情報を選択し,ものの価値を見定めて行くことが必要です。

こちらにも書きましたが

nobuya.hatenablog.com

誰でも簡単に参加できる,ということは同時に簡単に不参加できる,という意味でもあります。

そういう風に扱って行くことで段々と絶対的な価値は下がって行くのです。

間口を広げることと価値を下げることは違います。

危機的な状況にある祭りの場合,全く発信をしなければ誰も知らないうちになくなってしまうこともあります。

しかし,何を大切にしなければならないのか,そこにいる人達が何を大切にして来たのかを見定めることが出来なければ,知らず知らずのうちに禁忌を犯すことになってしまうかも知れません。

日本人は,ものを大切にすることでその価値を守り,高めて来ました。

これからももっと大切にして行く方法は何なのか,それを真剣に考えていかなければいけません。