「祭の男」宮田宣也のブログ/明日がもっとスキになる

今,守るべき,つなぐべきこころって何だろう。祭の男,宮田宣也の祭ライフと,祭哲学について。

「あなたと一緒に担ぎたいから」行くんです。

全国にご縁を頂き,様々なお神輿やお祭りに参加させて頂いています。

様々なお祭りがあって,その多様さは計り知れません。

色々なお神輿を担いで見たい,祭りに行ってみたい,と言う思いはもちろんありますが,どんな変わったことをしているとか,どんな激しいことをしているとかはあまり関係ないのです。

祭を行う地元の人がどれだけ本気で祭が好きか,その人と一緒に祭やりたいか,その一点です。

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「祭=楽しい」は間違い

僕はいつもそう思うのですが,お祭り=楽しい,お神輿=楽しいと捉えるのは,間違いです。

確かにお神輿を担ぐのは本当に楽しい事ですが,それを毎年続けていく事,たくさんの人たちとしっかり関係を作っていくこと,当日までの準備・・・。

「楽しい」お祭りの1日とその一瞬を作るために,大変な事はたくさんあります。

それをきちんと伝えられなければ,お祭りを続けていく事なんて出来ません。

「楽しい」1日を切り取るだけでなく,そこに至る大変さも同時に伝えていかなければ,文化は継承出来ないのです。

 

そこに本気のアニキがいるから

本当に一年に一度だけしか会う事が出来ない人たちもいます。

だけど祭の1日を作るために,一年間ずっと努力して来た人たちがいる。

祭以外でもたまに声をかけてくれたり,会いに来てくれたりする人たちがいます。

僕はそういった本気のアニキ達に会いに,そして一緒に祭をしに,行くのです。

有名だとか,大きな祭だとか関係なく,ただそこに,一緒に「祭」をしてくれるアニキ達がいる。

これから祭を背負って行く若者達がいる。

襷をもらおうとしている僕らは,「それでも」祭を続けていかなければいけない。

だから,僕らは同志として,呼応しながら祭をしていくのです。

「楽しい」だけのお祭なら,僕は必要ない

お祭は,「楽しさ」の裏に「苦しさ」「大変さ」があります。

お神輿を担ぐ事だって,重さと痛みに耐えながら1日を乗り越えなければいけない。

でも,同志たちと,一年に一度,その一生懸命を共有しにいく。

そして,共に戦い,共に酒を飲み,また来年,一緒に祭りやろう,と約束するんです。

そうやって,僕はお神輿を担がせて頂いています。

だから,ただただ「楽しい」だけの祭には僕はきっと必要ないし,そこまで一生懸命お神輿担ぐことも出来ないと思います。

里の人たちが本気だから,僕たちも本気になれるのです。

本当は外の人なんていなくていい

その日,自分たちが一年に一度,ご先祖様の時代からずうっと大切にして来た「神様」が里に降りてくる日です。

だから,それはショーでもないし,エンターテインメントでもない。

外から来た人たちを接待するために行なっている行事ではないのです。

ディズニーランドとは違う。

だから,本当は地元の人たちだけで,最高に楽しく,そして格好よく祭を行う事が出来ればいちばんです。

その最高に楽しい日に,知らない外の人を受け入れる事は,そしてもしそれが,「外の人がいなければ祭りが出来ない」と言う状況になっているのならば,里の人たちの選択は大変苦しいものなのだと思います。

その日にそこにいさせて頂ける事,お神輿を担がせていただく事,は本当に特別なことであるし,それだけの思いを汲まなければいけない。

そのために,その土地で長くたくさんの人たちに大切にされて来た里の「神様」に敬意を払わなければいけない,といつも思います。

「伝統」に触れるのであれば,そういった感性を常に磨き,行動していかなければならない,と強く感じています。