宮田宣也のブログ/明日がもっとスキになる

今,守るべき,つなぐべきこころって何だろう。

なぜ、祭を続けなければならないのか。~守らなくてはいけないのは何か~

お祭りは毎年一年に一度の大イベント。本当に楽しみな日です。
その日のために、一年間かけてご縁を繋ぎ、あたため、やっとその一日を迎える事になります。
しかしふと考えると、お祭りは楽しいことばかりではなく、大変なこともたくさんあります。
それでもなぜ、続けていかなければいけないのか。少し考えてみようと思います。
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「続けていかなければいけない」と決まっているわけじゃない

 客観的に考えてみると、絶対に続けていかなければいけないと決まっているわけではありません。
そんなことどこにも書いていない。
しかし、お祭が行われている人たちはしばしば、絶対に続けていかなければいけないと本気で思っているし、そう言います。
僕も激しくそう思いますが、その根底にあるものは、一体何なのでしょうか。

「伝統だから続けていかなければいけない」という言葉のあいまいさ

 なぜ祭を続けていかなければいけないのかという質問に、「伝統文化だから」という言葉が返ってくることがあります。
しかし、その言葉の真意をつかむには、もう少し意味を考えてみる必要があります。
まず、伝統文化、とは何なのでしょうか。
昔から伝えられてきたもの、と言えばそうなのですが、「伝統文化=続けていかなければならない」という変換は、少し乱暴です。
残すべきものと、残してはいけないものを選択していくことがいつの時代にも求められているはずで、「選択する」という行為が失われた文化は、いつの日か活力を失ってしまいます。
「伝統だから」続けていかなくてはいけないわけではないのです。

それではなぜ、続けていくのか。僕たちは何を守っているのか。

 続けていかなければならないという意識が祭を実行する人たち全員から無くなってしまえば、「続けていかなければならない」というルールは同時に無くなり、祭は途絶えてしまいます。
逆に言えば、「続けていかなければならない」という意識が残っているうちは、そのルールは存在し続けるのです。
つまり、祭を続けていけるかどうかはその「思い」をいかに守り続けていくかにかかっています。
祭は様々な様式がありますが、守っていくのはその形式なのではなくて、「続けていかなければならない」という意識なのです。
そして、その思いを継承し、次世代へ伝えていくことが現代の我々のひとつの本質的な役割だと言えるでしょう。
その襷リレーがどこかで途絶えてしまえば、祭、だけでなく伝統文化はそこで途絶えてしまうのです。

その思いを繋ぐために

 祭に対する思いを繋ぎ、伝えていくためにはどうすればいいのでしょうか。
僕は真摯に、「良い祭」を突き詰めて行くことだと思います。
それは、祭に関わった人全てが満足し、素晴らしい物をリュックに詰めて持ってかえってもらえる、という事であると思います。
神様が慶ぶ、という表現を良くしますが、それは我々にとっての最大の慶びを表現しています。
祭の日に集まって協力してもらえた人達全てが笑顔で素晴らしい時間を祭を中心に過ごすしていること。
その情景を、自分達が、ではなく、神様が、慶んでいると表現するところに日本人の奥ゆかしさ、そして神社や自身の文化への敬いが感じられます。
「神様が慶ぶような」お祭を仲間たちと協力し、重ねていくことがさらに「神様を慶ばせ」、祭の質を高めて行くことになるはずです。
そういった風景を紡ぎ続け、人の記憶に刻んで行くことがどんなテクニカルな手法よりも、一番シンプルでパワフルな在り方なのだと考えます。

なぜ、続けていかなければいけないのか

 それは偏に、現在まで祭が続いている事実は、前記の様な情熱を先人が傾け続けてきたからだと思います。
自身の先祖、そしてその土地を守ってきた人達が命がけで守り、大切にしてきたものが継承された以上、それをさらに次に渡して行くことは大切な役割です。大切な人達が大切にしてきたという理由以上の理由を突き詰める意味を僕は見出だすことは出来ません。
ただ、同時にそれは強要することは出来ないということも理解すべきです。
例えば、どんなに今を生きる人達が一生懸命文化を守るために命を尽くしても、次世代がここで終わりにしようとやめてしまえば、その選択を僕らが否定することは出来ません。
選択する権利が今僕たちにあるからこそ、責任を以て紡いでいくことが必要なのではないかと思っています。