「祭の男」宮田宣也のブログ/明日がもっとスキになる

今,守るべき,つなぐべきこころって何だろう。祭の男,宮田宣也の祭ライフと,祭哲学について。

「伝統とは確信の連続である」の意味を祭りから捉えてみる

 僕の故郷の例大祭が先日9月24日の日曜日に終わりました。

じいさんが作ったお神輿は,一年に一度,9月の第四日曜日にしか上がりません。

お神輿はとても楽しくて,たくさんの仲間たちが集まって,本当に豊かな時間です。

でも,一年に一度しかお神輿を上げることはありません。

その事で,どんな意味が生まれてくるのか,少し考えてみます。

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・お神輿が上がるのは神社の例大祭

 通常お神輿が上がるのは(例外もありますが)神社の例大祭です。神社では実は様々なお祭りが行われていますが,その中で一番重要なお祭りのことを通称で例大祭,と呼んだりしています。

その日,神様はお神輿に乗って僕たちの住む里へ下りてくるのですね。

なので氏子の人たち(その里を守っている人,通常住んでいる人)は,精一杯おもてなしをするわけです。

大切なお客様が一年に一度来ますから,賑やかな音楽や踊り,美味しい食べ物を用意して,たくさんの人たちでお迎えします。

お祭りは,正に一年に一度の大イベントなわけです。

一年に一度,同じように神社に集まってお神輿を上げ、里を訪れる。

毎年おんなじ事をずっと続けて行く,一見単純で発展性の無い作業のように見えますが,そこにはどんな意味があるのでしょうか?
考えてみます。

・お祭りは変化しないけど,時代は変化している

 さて,よく考えてみますと,例えば500年続いた祭りがあれば,その間に江戸時代が終わり,明治維新があり,明治を越え大正の時代が流れ第一次世界大戦,第二次世界大戦があって,そこからさらに70年も経って今があるのです。

冷静に考えてみれば変化していないように見えたとしても,(例えばお神輿が上がる,という行為は変わらないとしても)その内容は大きく変化しているのです。

一年に一度しか上がらないのであれば,時代の潮流の影響をもろに受けてしまいます。

一日,一週間,一ヶ月,の感覚とは明確に違います。

そのため,矛盾しているようですが,

大変動する時代に適応し,変わらない祭りを続けて行くためには,実は大きな変化を繰り返して行く必要があるのです。

変化しないための変化。

そんな一見矛盾しているような作業を脈々と続けて来たのが祭りであり,文化なのです。

こう言った分析が出来れば,「伝統とは確信の連続である」との意味が祭りという視点から正確に捉える事が出来るのでは無いかと思います。

・変化しているからこそ,一回のお神輿に本気で向かう

 お神輿を上げるという行為が,同じ場所,同じ日にちで行われていたとしてもそこには大きな変化があるという事が認識出来ると,同じ名前のお祭りでも,全てが特別な一日であると真に思えるようになります。

祭りの日,天気に恵まれ神輿を上げる事が出来,ご縁のあった人たちと体調も良く,お神輿を上げる事が出来ることは本当に貴重な事なのです。

悲しい事ですが,一年に一度である以上また来年同じメンバーで担ぐ事が出来るかわからないし残念ながら亡くなってしまう方もいます。

さらに言えば,僕自身同じように来年もお神輿を担ぐ事が出来るかどうかわかりません。アキレス腱切れてしまうかもしれないし・・・笑

なので,僕にとってはその一瞬一瞬に後悔の無いように命を燃やさなければ,と焦燥感に駆られる事があります。

もう,じいさんと一緒にお神輿を担ぐことは出来ないのです。

・変化の中で約束を守り続けて行く

 祭りは,変化し得るものだしこれまでもそうやって時代という潮流を乗り越えて来ました。

しかしじいさんや先人たちがずっと守り続けて来た約束を,当たり前に守り続けて行く。僕はその役割をもらいました。

たくさんの仲間たちと,思いをさらに深めながら次世代へ繋いで行く。

それこそが「伝統」という言葉の深奥にある意味なのかもしれません。

 

宮田宣也