「祭の男」宮田宣也のブログ/明日がもっとスキになる

今,守るべき,つなぐべきこころって何だろう。祭の男,宮田宣也の祭ライフと,祭哲学について。

縁日という言葉から縁について考える

【縁日】
神仏と現世に何か縁があるとされる日。その日に参詣(さんけい)すると、ふだんにまさる御利益(ごりやく)があるとされ、祭礼、供養が行われる。

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 縁日,という言葉から,露天商が集まって,魅力的な匂いを漂わせながら露天独特の魅力的な食べ物を売っていたり,ワクワクするような遊びをしていたりするような風景を思い出します。しかし,縁日,という言葉の本来の意味はまた,少し違っているようです。

 冒頭で,辞典で見つけた言葉の意味を書きましたがどうやらその日,お祭の日の中心である神仏とのご縁がある日であると説明されています。しかし僕はもう一つ,「ご縁が集まる日」であると感覚的に理解しています。お祭の日がご縁日と同義,もしくは同じ日を差しているならば,それはたくさんのご縁が集まる日,とも解釈できます。

 一年に一度,きらびやかな光の中でたくさんの人で賑わい,楽しそうな風景が作り上げられています。そこにはたくさんのご縁が集まり,渦巻いて,さらにはまた様々なご縁が生まれるのです。

 しかしふと,そのご縁の中心にあるものは何だろうと言うことに気づきます。そこにはやはり,神社やお寺の存在があるのです。僕の場合はやはりお神輿をメインに考えることになりますが,元を辿れば神社の祭礼ですから,中心にあるものは神社である,と考えることができます。

 なので,楽しくて素晴らしいお祭,たくさんの初めて出会った方と豊かな時間を共有させて頂き,さらにはずっと続いて行くような関係を作って行くことが出来る。それは,ただ単純にお祭って楽しいよね,と感じるだけの感性ではいけないと考えます。そういったお祭を守ってくれた人たちは誰なのか。どうやって維持されて来たのか。そういったことについて鋭敏に考え,感じて行くことが出来なければご縁日,と言う言葉,さらには縁と言う言葉の深奥には辿り着けないのではないのでしょうか。

ご縁を大切にして行くと言うこと

 僕の場合は,一年間どのようなご縁を作ることが出来,かつ大切にしてこれたかどうかは地元のお祭の際に確認出来るような気がしています。僕にとって一年に一番大切な日は祖父のお神輿が上がる日です。それは祖父の時代から紡がれて来た文化であり,里の大切な風景です。その日,力を貸していただくことが出来るかどうかはその一年どんな風にご縁を紡いでこれたかにかかっていると思います。

 祖父の製作した重いお神輿を遠方から足を運びさらには力を尽くし,肩を痛めながら担いでくれると言うことは,強い信頼と関係性がないと成立し得ません。今年も僕が訪れた様々な祭や,出会った人たち,旧友たちに力を貸して頂きました。

 

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 お神輿を担いでくれる表情を見るたび,様々な思い出が浮かび感慨深くなります。物心着く前から毎年同じように見て来た神輿の姿。そのお神輿を仲間たちが目の前で一生懸命担いでくれている事。それは心のそこから喜びを感じます。僕はお祭を守って行く難しさと,お祭を愛する人たちの思いを理解しているつもりです。僕が生まれる前からずっと紡がれて来たからこそ,裏切れない人の思いがあります。一年に一度のそういった風景を守っていけるかどうかは偏に一年間の僕や地域の人たちの行動にかかっています。今後,さらに素晴らしいお祭りにしていき,参加してくれたたくさんの子供達に,楽しくて誇りの持てる風景を作っていきたいと誓います。

 僕の祖父や先人たちが僕にそうしてくれたように,今度は僕らの番です。未来へ襷を渡し続けて行くこと。それは先人が命がけで紡いで来てくれた,その事実だけで心根を注いで行く理由になると思います。

縁という言葉には

 「ご縁」は,様々なところで生まれるでしょう。今日道ですれ違うことでさえ,袖振り合うも多生の縁という言葉があるようにご縁の始まりかもしれません。しかしそれを切れない絆に育てていきながら一生大切にして行くことが出来るかは大変なエネルギーを要する事です。ある意味では簡単に作ることが出来るし,簡単に切れてしまう。そんな事でもあります。

 私たちの国が守り続けて来たご縁日。その日にはたくさんのご縁が集まり,生まれ,絡まり合います。そしてその中心にあるもの。それが先人がずっと大切に守り続けて来たものです。その思いが実は神社やお寺に詰まっている。なぜそういった場所で手を合わせ感謝を述べるかを考え,感じなければなりません。楽しさの深奥にある純粋な思いの集合体を感じる鋭敏なアンテナの感度を上げ続けて行く事。そこに日本という国の素晴らしさをさらに感じて行く入口があるのではないかと思います。