「祭の男」宮田宣也のブログ/明日がもっとスキになる

今,守るべき,つなぐべきこころって何だろう。祭の男,宮田宣也の祭ライフと,祭哲学について。

ベルリン神輿渡御を終えて〜日本文化はファッションじゃない。伝えるべきは形じゃない〜

2016年5月15日。

ベルリン,カルナヴァールデアクルトゥーレンで,史上初の神輿が上がった。

たくさんの想いが交錯し,波となりうねりとなり当日を迎えた。

海外で神輿を上げる意味とは。

僕は明確に日本文化,とりわけ祭りに危機感を持っている。

祭りを愛し,命がけで守ってきたたくさんの想いと心はどこへ行くのか。

毎度祭りに行くたびに考え,感じようとしている。

庶民の文化である「祭り」。

僕は常に形骸化され,商業主義の思惑に飲み込まれそうになっている日本文化と対極でありたい。

ベルリンのカーニバルで神輿を上げることは一見派手だが,中に活きる血脈を失ったりはしない。

現在日本に数多く残っている素晴らしい文化の数々は,美しく,興味深いがそれを感じ,伝えるべくはその「こころ」だ。

数百年の伝統の中で数え切れない思いが交錯してきた。

その歴史の中では現在のように商業主義の中で発展してきた形もあるだろう。

しかし,決して跪いてはいけない。

日本の文化はファッションではないのだ。

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祭りの日。

天気予報は雨天だった。しかし朝起きると,青空が少し顔を出した。

僕はこの日晴れることはなんとなくわかっていた。

根拠は無いけど。

神輿は会場に運ばれ,いつものように僕は組み立て,紐をかける。

一つ一つの工程を,丁寧に,気持ちを込めて。

今日ベルリンに神輿が上がる。

雲が,かかってきた。

麻縄を掛矢で締め込みながら木が軋む音と調子を取る掛け声が人を寄せる。

時間が下ってくると他の参加団体の華やかな衣装も見える。

写真を撮り合いながらお互いを称える。

文化の触れ合いだ。

担ぎ手が集まってきた。

誰もが知らない人ばかり。

ドイツ人も,日本人も,多国籍だ。

神輿を見るのも担ぐのも初めての人ばかり。

日本から参加した十数人が,神輿を仕切る。

僕らは日の丸を背負った。

柝(き,拍子木の事。オーケストラで言えば指揮棒みたいなもの)は,僕が持つ。

目の前の百人を超える熱気のうねりをまとめ上げていく。

僕にはそれが出来る。

このカーニバルの原則として,宗教性を出すのは禁止されているため,公式には出来ないが岡山から神主さんが参加してくれていたため神事を行った。

降神を行っている間,深く頭を下げる僕らの姿を見てもらうだけでいい。

神輿が上がるまでは少し時間があった。

カーニバルに参加するのは今年は70ヶ国,5000人を超える人だと言う。

僕らは順番を待ち,出番を待つ。

ついに,神輿が上がる。

本番はこれからだ。

どこの祭りでも言える事だが,神輿は最初から美しくは動かない。

僕のように年間何十回も担ぐ担ぎ手はいつでもうまく調子を出せるが,普通祭りは一年に一度。

担ぎ手も最初は誰もが不慣れなのは同じだ。

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担ぎ手が他の担ぎ手を慮り,全体の気持ちが神輿という大きな装置を通じて一体になった時,神輿は美しく動く。

多くの想いが一つになり,自身の体が神輿を通じて他と一体になる時祭りの時にしか生まれない感情の扉が開く。

同時多発的に起こるその「集団エクスタシー」こそが神輿という文化手法を用いてしか生み出せない感情であり数百年受け継がれてきた「文化」なのだと思う。

形骸化されたものだけではその一瞬まで決して辿り着かない。

文化とは,ファッションではなく特定の感情を開かせるための先人が洗練してきた手法なのだ。

僕は柝を操りさらにうねりを煽っていく。

神輿が収まる最後の瞬間,うねりは最大値でなければいけない。

担ぎ手と参加者の顔が狂気を満ちてくる。

一人一人の体が激しく動き,声とテンションが悲鳴に変わる間際,神輿は何かが乗り移ったように美しく動く。

そこで高く柝が拍手(かしわで)を打つ。

神輿が降りた時,太鼓の音が止まった時。

人々の心に残っている物こそが僕が伝えたかった「感情」すなわち「文化」だ。

形骸化された商業主義の下にある日本文化に惑わされてはいけない。

先人が命がけで守りぬいてきたアイデンティティを守るのは今,僕たちしかいない。

僕はまた覚悟を胸に仲間たちと神輿に拝礼した。

もう一度,南フランスへ神輿を上げに行く。