「祭の男」宮田宣也のブログ/明日がもっとスキになる

今,守るべき,つなぐべきこころって何だろう。祭の男,宮田宣也の祭ライフと,祭哲学について。

伝えるべき日本の風景〜神輿をベルリンへROAD TO BERLIN①〜

先日,昨年に引き続きバンコクで神輿渡御を行った。

バンコクでの神輿渡御は,文化やこころの伝達に重きを置いた。

神輿を担ぐ楽しさ,連帯感,高揚感。

形や技術にこだわらない純粋な神輿の機能を引き出そうとした。

今年,5/15。

もう一度,海外へ行く。

舞台は、ベルリン。

..::: Karneval der Kulturen • ENGLISH :::..

カーニバル・ベルリンというベルリン最大の祭り。

2016年5月13日〜16日まで行われ,ベルリン市内のパレードが行われるのは,5月15日。

世界約80か国から数千人の人がパレードに参加するという。

来場人数,なんと150万人。

祖父が作った神輿が今南フランスにある。

ヨーロッパ渡御の二回目となる神輿。

伝えるべき日本の風景は,何なのか。

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海外で神輿を上げるということ

よく勘違いされるが,僕は海外で神輿を上げる,ということそれ自体に対した魅力を感じてはいない。

これからどんどん海外で神輿を上げたい!とか,世界に神輿文化を広めたい!とか,そんなことはちっとも思っていない。

僕の最大の関心事であり危機感は,日本の小さな里の,小さな神社で行われる手作りの祭りが消えていってしまうこと,今まさに無くなりそうにあることだ。

そのためにどうすればいいか,僕は答えを出したいと思うし,神輿をもっと多くの人に知ってもらいたいと思う。

神輿にはどんな力があるのか。

神輿はどのくらい素晴らしい文化なのか。

現在の日本は,祭りも,神輿も,神道もたくさんの思惑や政治的背景,イレギュラーな宗教観などたくさんの誤解と複雑さにより,純粋な神輿の力の検証が出来ない。

僕は僕なりの小さな試みとして神輿を海外で上げている。

ベルリンで表現すべきこと

ベルリンの祭り,カーニバルベルリンという大きな祭りに日本の文化として史上初,150万人の前で神輿を担がせてもらえるということは大変光栄なことだ。

しかしそれは,光栄であると同時に,僕自身の神輿観,祭り観をより明確にし,フラッグを再確認しなければならない。

僕はベルリンに行ったことも無いし,この祭りがどんな祭りなのかよくわからないが,必ず神輿を上げる自信はある。

しかし,ベルリンの祭りはカーニバルである以上,風景としての美しさをしっかりと伝えなければいけないと考えている。

これまでは,神輿の担ぎ手のマインドで海外の神輿渡御を行ってきたが,今回は,観客のマインドも考えなければいけない。

世界80か国から参加し,そこに並列して神輿が上がるならば日本人が創り上げてきた「祭りの風景」を創り上げなければならないと思っている。

祭りの美しさ

僕は,たくさんの神輿や祭りを見てきた。

祭りは,神輿は,美しい。

それぞれの「粋」が息づく半纏や衣装,荒々しく激しく動く神輿の姿。

一方で,神事から始まる静けさ。

静と動とが同居し,その美しさに心奪われる。

担ぎ手は,その風景の一部なのだ。

祭りに保存される風景は,大昔から変わらないのだろう。

さらに,担ぎ手の感情,それを見ながら手を叩き声をかけるおばあちゃんの姿もずっと変わっていないはずだ。

祭りは大衆の創り上げる風景だ。

プロフェッショナルなんていない。

しかしどこの里にも,祭りに青春をかけた,祭りの話をすると止まらなくなる人達がいる。

そこに誇りを持ち,その風景を繋いでいっているのだ。

ベルリンで会いましょう

ベルリンは,祭りの魅力を世界へ発信する大きな舞台だ。

それは日本のため,日本文化のため,そんなことを言うために行くわけではない。

日本に住んでいれば,どこの町にも,どこの小さな神社にもお祭りがある。

もしかしたら,神輿もあるかも知れない。

日本の祭りが,神輿が世界で注目されたら,きっともう少し,ローカルを見つめ直して里の祭りを大事にしようと思ってくれるかも知れない。

日本文化とか,神道とか,伝統文化とか言葉ばかりが先行し消費され始めている。

商業主義の下に文化が扱われ,本質を失い始めている。

一番大事な事は,僕はどんな時も自身の先人が大事にしてきた産土神社を当たり前に大切にすることだと思っている。

それは,宗教観とは全く別の次元で。

ベルリンで,日本の誇る最高に素晴らしい祭りの風景を再現したい。

そのためには,資金も,祭り人もまだまだ足りない。

どうすればいいか,模索している。

みなさん,ベルリンで会いましょう。