「祭の男」宮田宣也のブログ/明日がもっとスキになる

今,守るべき,つなぐべきこころって何だろう。祭の男,宮田宣也の祭ライフと,祭哲学について。

イノシシもらった〜地方の土着のコミュニティで成立する貢献交換経済の永続性について〜

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先日,前々からずっとお世話になっている農家さんからイノシシ肉をもらった。

もう,5年以上の付き合いだが今では家族のような関係だ。

何かと気にかけてくれるし,お米や野菜をたくさん頂ける。

地方の土着の家は大体農業を行っていて,食べ物に溢れている。

お金ではない流通がそこにある。

貨幣経済を主軸とした「豊かさ」では測れない世界が成立している。

都市農村の交流が増え、若者や都会人が田舎をターゲットにしている。

土着の人達と接する上で,重要で絶対的なルールとシステムがある。

・あたえること,貢献することの必然性

日本人はコミュニティを非常に大事にして来た。

地方に行くと,自治,自警の仕組みが当たり前に残っている。

消防団や自警団,町内会,氏子総代会などは土着の人達で成り立っている。

つまり,自分たちの村・町は「自分たちで守る」「自分たちで作って来た」

という意識が強い。

コミュニティというのは,ハチやアリのようなもので,群衆で一つのシステムを作っている。

一匹ではなく,一群。

日本のコミュニティの在り方はそうなっており,そこのシンボルが神社仏閣だったりする。

とすれば,他人,という意識はあまりなく同じコミュニティの中で貢献を交換することは自身の利益でもある,という事実が成立する。

野菜をくれるとか,ご飯を食べさせてくれるとか,家に泊めてくれるとか,そういった人に対する貢献はコミュニティの発展と維持への必然性として当たり前に成立している。

情けは人のためならず、だ。

・貢献を「交換」すること

日本人は,地域のコミュニティ内の人とそうでない人の2種類いる。

一概には言えないが,都会に住んでいる人は地域コミュニティに参加しているのは極めて稀だ。

マンションなどが増え,人口も増加し,地方から移住して来ている人達は地域コミュニティに参加することは難しいし,町内会などがあっても窓口は大変せまい。

都内の土着の人達は,大変少ないだろう。

そういった人達が田舎へ行くとその貢献の度合いに驚く。

田舎の人達は東京から来た,と言うだけでもてなしてくれるし,何でも用意してくれる。

都会では味わいにくいその感覚に魅了される人もいるだろう。

しかし,貢献は「交換」しなければいけない。

双方向の貢献が無ければ,地域の人間関係のルールに則ることは出来ていない。

いつまでも「お客さん」のままだ。

「恩」をたくさん受けていると,返さなければならない「恩」がたくさん貯まり,破綻してしまう。

貢献されることは,「当たり前」じゃないし「返さなければいけない」事を意識する必要がある。

地方で人と接する際のルールと言える。

・貢献の交換が産む豊かさ

一般的に,貨幣交換経済の元では全てのサービスや物は対価としてお金が交換される。

しかし,地方の土着のコミュニティの中ではもう一つ,貢献の交換がある。

例えば,1000円の用意した場合一般的に1000円の範囲の物しか用意しないしサービスしか用意されない。

それ以上では,貨幣交換経済の中では成立しない。

さらに言えば,そこで交換は終わり。

貨幣交換経済の限界は,交換の終了が明確であるところにある。

しかし,貢献に対して貢献を交換する場合,その評価が明確でないし個々の人間性に委ねられるため,交換は一度では終了しない。

貢献の交換は終了し得ない,つまり貢献を交換し続けることで,人と人の関係は永続的となる。

地方のコミュニティ内の人は,それを体験的に知っている。

だから,貢献することを厭わないしそれが人間関係の始まり方なのだ。

都市農村交流が盛んに行われ,都会の人が地方の土着の人と交流する機会が増えている。

それは日本の現状には必要な事で,推進していかなければいけないが,この「貢献の交換」がわかっていないと自ら関係性を断つことになってしまうかもしれない。

実際に,そういった「感覚の無さ」による地方での問題も多い。

都会が失ってしまったかもしれない「豊かさ」の鍵は,この貢献の交換の有無にあるのだ。