宮田宣也のブログ/明日がもっとスキになる

今,守るべき,つなぐべきこころって何だろう。

「お神輿の中に入っているものは?」保育園の子供の質問に答えて来ました。

「お神輿の中には,一体何が入っているのだろう?」

ある保育園の園児の疑問をきっかけに,都内の保育園へと出張授業をしに行くことになりました。

お神輿を持って

せっかくだから,お神輿持っていきますか〜!さらにせっかくだから,神主さんも呼びましょう!

ということで,せっかくの機会なので,こちらも準備万端で行くことにしました。

同級生の神主も,快諾してくれました。

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神様ってなんだろう?

お神輿の中に何が入っているか,その答えは,神様です。

神社が神様の家だとしたら,お神輿は神様の乗り物。

しかし神様という目に見えない「存在」を理解してもらうには,工夫が必要です。

神主さんは,こう説明します。

「みんなが毎日ご飯を食べる事ができるように,元気でいる事ができるように,安心して暮らす事が出来るように,神様はずっと前から,見守ってくれています。」

「一年に一度,お神輿に乗って神社から神様はみんなのところへ来てくれるんです」

しかしなかなか,その意味は伝わりません。

そこにないものを理解するのは,大人でも難しいものです。

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大きな声で,「わっしょい!」

「神様のことわかりましたか〜?今日はせっかくなので,お祭りの日みたいに,みんなでわっしょいの練習をしましょう!」

「その前に!実はみんなの近くにも,神様と同じように,毎日毎日みんなのことを考えて,心配して,一生懸命に働いてくれる人がいます!それは誰でしょう〜?」

「先生!」

先生に前に出て来てもらい,

「そうです,それでは今日は,先生に,みんなで大きな声でありがとう!って言いましょう〜!せーの!」

「ありがとう〜!」

「では今度は,そのありがとうの気持ちを乗せて,わっしょい!って言ってみましょう〜!」

「わっしょい!」

そこで,先生に椅子に座って目をつむってもらいました。

「先生にはこれから神様の気持ちになってもらいます。目をつむって,一人一人の子供たちを思い浮かべ,声を聞いてみてください。」

「いいかい!先生に,精一杯大きな声でありがとうの気持ちを伝えるよ!せーの!」

「わっしょい!わっしょい!」

「もっと!元気に!」

「わっしょい!わっしょい!わっしょい!」

だんだんと先生の目に涙が浮かんで来ました。

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「先生,今どんな気持ちですか?またこれから,子供達のためにより一層頑張ろうと思いませんでしたか?

感謝する,ということ

子供たちが大きな声で叫び,先生に思いを届けようと一生懸命になろうとする姿勢は,大きな力を作ります。

それが先生たちのエネルギーに変わって行くし,またそのエネルギーは子供たちに還元されていくはずです。

一年に一度神様が里に降り,たくさんの思いや感謝を乗せることが,それは実は里の人たちの幸せにつながる,祭りという文化の素晴らしい一面です。

エネルギーは循環し,感謝することが自身や故郷の幸せ,豊かさとなる。

お祭りや神社はこういった心とエネルギーの循環を作り出しています。

神様は見えないけれどそこに在り,太古の昔から先人たちの感謝の対象となって来ました。

それはいつしか大きなエネルギーとなり今もなお人々の心と生活を豊かにしてくれています。

お神輿が出来た

僕たちが帰った後,子供たちは自分でお神輿を作り,中には「かみさま」がいます。

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わっしょい!わっしょい!と保育園中に子供達の声が響いていたのが印象的でした。

神様という目に見えないけどそこに在る,大切な何かを伝え感じてもらう事について真剣に考えたけれど,大人である僕たちがまず自分自身に問いかけ,その答えを導き出すことが必要だと改めて感じました。

子供たちがこうやってさらに自分で行動し,お祭りの日を楽しみにしてくれること。

それが祭りの未来に貢献していくことだと思います。

 

全国の祭り男たちに聞いた「あなたの一番好きな祭りは何ですか?」

全国津々浦々,様々な場所で祭りがあります。

僕はご縁あって,各所の祭りに参加させて頂いていますが,その場所の祭り大好きな人たちにいつもする質問があります。

「あなたの一番好きな祭りは何ですか?

答えは誰に聞いても同じ

驚くべき事に,答えは誰に聞いても同じです。

日本全国のお祭り男が,口を揃えて言う,ナンバーワンの祭り。

その祭りを研究すれば,祭りの真実に近づき,「どうやって次世代に素晴らしい祭り文化を伝えていくか」についてのヒントがわかると思いませんか?

僕はその答えに,強く共感し,真理に近づいた気がしました。

答えは何だと思いますか?

三社祭

博多山笠?

青森ねぶた?

どんな祭りを思い浮かべるでしょうか?

正解は,

「地元の祭りが日本一だ!」

です。

そう,全国の祭りに人生かけている祭り男たちは,真剣に地元の祭りが日本一,いや世界一だと思っています。

そりゃそうだ,と思うかもしれませんが,僕はここに次世代へ祭りを伝えていく鍵があると思っています。

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祭りの「面白さ」は,内容でも派手さでもない

最高の祭りとは何か?の答えを追い求める為に,たくさんの祭りに参加していますが,例えばお神輿にもたくさんの形,掛け声,担ぎ方などがあります。

形だけを取ってみれば,その無限の多様さから,何を伝えるべきなのかわからなくなってしまいます。

ド派手なパフォーマンスや,神輿や山車が何基も出る大きな祭り。

数トンもある巨大な神輿,壮大なねぶた。

「祭りとは何か」を捉えるために全ての祭りを回らなければならなければ,物凄いエネルギーと時間がかかってしまいます。

しかし幸いな事に答えは一つでした。

そのたった一つの答えを深く見ていくことで,僕は「祭りとは何か?」の答えに近づく事が出来る事と思いました。

僕が深く分析すべきなのは,「何故地元の祭りが一番なのか?」です。

面白い,最高!と感じるのはなぜか

さて,僕もたくさんの祭りに触れてきましたが,大きなお祭りだから飛び抜けて面白いとか,変わった事をするから這ってでも参加したいとか,そんな風に思ったことは特にありません。

ただ,やはり地元の祭りだけは特別です。

他のどの祭りよりもワクワクドキドキして,いつも頭から離れない。

何回も写真や動画を見直して,楽しかったなあ,早くまた来年にならないかなあ,と思ってしまいます。

そう思うのはなぜか。

感動するのは脳がビリビリ刺激されるから

人間がなぜそんなにも楽しくなって,感動するかと言うとそれは脳が刺激されているからです。

つまり,

一番面白い=一番刺激が多い

と言うこと。

そう翻訳した時に,地元の祭りだけにある特別な刺激とは何だろうと考えた時,それは「思い出」の量だと気付きました。

地元の祭りと言うのは,毎日生活している場所で,もしくは生まれた場所で,行われます。

そこは何度も何度も通った道。

たくさんの友達,家族と触れ合った場所。

小さい頃の楽しかった祭りの日,運動会。

そんな一つ一つが,全ての風景に刻まれているのです。

そこで,自分の大好きな神輿が一年に一回,担がれるのです。

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これは10年前の写真です。2008年。

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そして今年2018年です。

やることは毎年同じです。メンバーも大体同じ。

だけど一度の神輿から,一気に何年も蓄積した思い出が吹き出てきます。

一年に一回同じ事を続けているからこそ感じる事が出来る刺激。

それは本当に特別な風景です。

約束を守る,ということ

そしてもう一つ,僕が考える地元の特別性とは,「守ってきた」というプライドです。

そう,地元の祭りをここまで守ってきたのは,先祖であり,家族であり,友人,地域,そして何より自分です。

そうやって守ってきた祭りの日は,自分の大切な人たちがみんなで,大切にしてきた1日なのです。

全ての大切の矢印は自分から祭りに直接繋がっています。

自分たちで,自分の大切な人たちの力で本気で守ってきたお祭り。

そしてどんな事があっても,一年に一回,必ずお神輿上げようという約束を守っていく日なのです。

だから,特別なのです。だから,何より楽しいのです。

僕が伝えたい,祭りの本当の面白さ,魅力に近づいていくためにはこの事を理解していなくてはなりません。

大切な人たちが大切にし続けてきたものを,力を合わせて継続し,約束を守って行く事。

それがいつしかプライドとなり,自慢の祭りとなっていく。

そうなれば,一人一人にとって「日本一の祭り」が完成するはずなのです。

地元のお祭りが終わって,今思うこと。〜祖父が亡くなってから7年,今年のお神輿は〜

2018年9月23日。

今年の地元のお祭は,秋分の日でした。

僕のいちばん大切な日。

亡くなった祖父と,一年に一度の約束を果たす日。

それが,僕の地元,産土神社である横浜の小菅ヶ谷春日神社のお祭りです。

年間に何十箇所もお祭にお邪魔しますが,地元の祭はいつも特別です。

夜,神社に集まって来る子供たち,木から木へと連なる白熱灯,焼きそばや,焼き鳥の焼ける匂い・・・。

全てが懐かしくて,キラキラしていて。

幼かった僕は,大人になるまで神社への階段を同じように毎年毎年上がっていました。

そこにはいつも祖父がいて,たくさんの親戚や仲間たちに囲まれていました。

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幼い頃の僕は,出店でくじを買ってもらったり,焼き鳥を食べていたり,神社で肝試しをしたりしていました。

でも,7年前のお祭りには祖父はいませんでした。

家で寝たきりだった祖父は,階段を上がることが出来ませんでした。

次の朝,祖父はいなかったけれど僕らは同じようにお神輿を上げ,町内を周りました。

一度だけ,車椅子に乗った祖父が神輿の前に。

それが,祖父と神輿の最後の思い出。

家で,その年のビデオを見ながら,「かっこいいだろ」と笑っていたのを覚えています。

あれから,7年。

祖父が亡くなって,お神輿上げるの止めよう,と誰かが言っていました。

大きい神輿を続けていくのは無理だ,とみんなが言い始めました。

だけど,僕はそんなの嫌だった。

祖父が最後に,「かっこいいだろ」と笑ったそのお神輿を,下ろしてはいけない。

やっぱり無理だったか,と悲しい顔を見たくない。

だから僕は,覚悟を決めました。

誰かじゃなく,僕がやらなきゃ。と。

お神輿なんて全然よくわからなかったけど,ただただなんとなく好きだっただけだったけど,やらなきゃいけないその思いと向こう見ずな若さに,お神輿は振り向いてくれたような気がします。

 

 

7年間,本当に長くたくさんのことがありました。

色んな人たちに出会い,別れ,多くの失敗もしました。

今でも,反省することがたくさんあります。

 

だけど,今年のお神輿は,本当に美しかった!

 

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みんな楽しそうに,笑顔で担いでくれました。

いつもいつもお世話になっている先輩方,僕がまだ担ぎ方も知らないうちから教えてくれたアニキたち,一緒にお神輿担いでくれる後輩たち,ずっと前から友達でいてくれる仲間たち・・・。

本当にたくさんの人に支えられて,無事お神輿が上がりました。

今年は祖父の頃からの先輩方に何回も声かけていただいて,やっと,お神輿が祖父の頃の輝きを取り戻したんじゃないかなと思いました。

「神輿は一人じゃ上がらない」

その意味を考えてただ必死に答えを探り,西へ東へ奔走し,声が出なくなるまで叫び,動けなくなるまで担いで来たお神輿。

 

まだまだ,祖父が残した大きな大きな宿題の答えはわかりませんが,お神輿が持つ力の一端が見えるようになってきた気がします。

 

一年に一度だけ鳥居をくぐる,祖父のお神輿。

死ぬまで約束を果たし続けるのはまだまだ覚悟が必要です。

だけど,このお神輿があったから,僕は最高に幸せで豊かな人生を歩むことが出来ています。

これからも,偉大な先輩方の背中を追いかけながら,挑戦する気持ちを忘れず,倦まず弛まず,真摯に正面からお神輿を見つめ続けていこうと思います。

 

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また来年,祖父が喜んでくれるようなお神輿を上げることが出来るよう,反省を活かしながら一年精進します。

 

押忍

 

引き継ぐという事〜「津波なんかで,伝統を絶やすわけにはいかない」

2011年,東日本大震災がありました。

僕は南三陸町へ震災後お手伝いに行き,当時石巻市雄勝町というところへ訪れました。

目の前にあったのは,瓦礫の山。

そして,ひっくり返ってしまった神社。

「放っておいたら撤去されてしまうこの神社の材料を使って,みこしを作れないかな 」

避難所で生活していた方に声をかけて頂きました。

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軽トラックの中で

 一緒に材料を取りに行ったのは,硯組合の高橋さん。

この雄勝町は,600年続く硯の生産地なのです。

しかしもちろん,硯の生産工場も流失してしまいました。

産業の再開も目処が立たず,まずは街の再建が最優先課題です。

「でも,祭やりてんだよなあ」

高橋さんは言います。

「今はそんな事言い出せない。会議の場でも,話題はもっと深刻なものばかり。

だけど本当は,こんな時だからこそ,みんなを元気にする祭がしたい」

僕は二人で,軽トラックを走らせながら話を聞いていました。

ボランティアという立場で,外の人が出来る事をずっと考えていました。

僕はこの時,もしかすると祭を行う事が僕たち外部の人間だからこそ出来る事なのかもしれない,そう思いました。

材料を拾って

神社があったのは,雄勝小学校の真上の丘です。

そして,瓦礫だらけの昇降口の軒下には,真っ二つに割れた神輿が置いてありました。

毎年この里でもお祭りがあって,祭の日にはこの神輿を出していたそうです。

もし自分のふるさとお神輿がこんな姿になっていたとしたら・・・

苦しくて,悲しい風景でした。

真っ逆さまになった神社の境内。

その中から,利用できそうな材料を探します。

しかし多くが波を被り,利用できそうなものはほとんどありませんでした。

なんとか拾い集め,荷台に乗せます。

津波なんかで

帰り道,高橋さんはこう言っていました。

雄勝の硯は,600年続いてきたんだ。先人が命がけで繋いできたものを,津波なんかで,絶やすわけにはいかない。」

真っ直ぐに前を見て,力強くおっしゃっていました。

ぐちゃぐちゃになった街の中を支援された軽トラックに乗る,僕と高橋さん。

高橋さんにとって,硯を継承していくという事は,この街をもう一度復興させるという意味です。

僕はその時,継承するという意味と,その覚悟を目の当たりにしました。

どんな事があっても,続けていく。

そして,次世代に襷を渡す。

そのためには,自分が生きる時代に責任を持ち,自身がそのど真ん中で生き抜かなければなりません。

祭という伝統

僕は祖父から,そして先人から引き継いだふるさとの神輿と祭があります。

全国を見ても,担ぎ手が減ってしまったり,運営が難しくなってしまっている状態も多い。

しかし,それでも続けている祭には,覚悟があります。

止めようと思えば,すぐにでも無くなってしまうでしょう。

その里に覚悟があるから,乗り越える方法が見つかるのです。

我が国では文化芸術に対する大きな波が打ち寄せています。

そして現状は荒涼たるものです。

目の前で無くなってしまう祭もある。

しかし,今を生きる我々が,覚悟と責任をもって次世代に襷を渡さなければなりません。

瓦礫だらけの街に走る一台の軽トラックを運転する高橋さんの,未来を見据える眼差しを僕は忘れる事はありません。

 

 

僕が学生時代初めてみこしを作った時のお話〜武蔵美の卒業制作のみこしを担いで思い出したこと〜

“すごい1日だった。 

ただただ、心が震えた。

すべてをかけて臨んだ神輿。

それが最高の仲間たちの手で上がったんだもの。

 

誰もがみんな一生懸命で。

 

誰もがみんな真剣で。

 

汗、血、涙、いのち。

そんな「人間」がここにはあった。

俺の純粋な思いが形になり、とんでもない神輿を創りあげた。

これで生まれた思い、絆。

 

それは本物だ。

 

みんなに見てほしかったんだ。感じてほしかった。

こんなにすれっからしの世の中だけど、一生懸命になって、ぐちゃぐちゃになって、創り上げる世界がある。

それで生まれる素敵なものがある。

 

みんなみんな大好きだ。

ありがとう、ただありがとう。

あんなに楽しくて、嬉しくて、感動した日々を、俺らは一生忘れないだろう。”

これは僕が学生時代つくったみこしが上がった次の日に書いたものです。

 

先日,神輿仲間の女の子が武蔵美の卒業制作でみこしを製作し,完成記念に渡御するというので担いで来ました。

出会った時から,「卒業製作にはお神輿を作って,一緒に学んだ仲間たちとキャンパスでみこしを担ぎたいんです」

と心を決めていた彼女。

実は僕も学生時代に仲間と一緒にみこしを作ったことがあります。

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祖父が坂を上がれなくなった

毎年元旦には,地元の神社で氏子親戚たちで協力して,神社で縁起凧を売ったり,甘酒御神酒を配ったりしています。

祖父は高齢でしたが,毎年大晦日の夜から神社へ行き,初詣の方々を迎えます。

深夜2時頃になると,一度家に戻るのですが,横浜は坂が多く,祖父の家も丘の上。

帰るためには,急な坂を登らなければいけません。

しかしその年は,祖父は坂を上がり切れなかったのです。

僕はとても心配していました。

いつも元気な祖父が,衰弱していると気付いたのはこの時でした。

僕には何ができるのか

それまでも少しづつ体調が悪化していた祖父。

しかしいよいよ,日常にも支障が出るようになり,僕は少し怖くなりました。

僕は二十歳で父を亡くしていて,急に体調が悪化して何も出来ないうちに入院してしまった様子をみていたので,祖父のためにも「何かしなきゃ!」と激動が体を貫いたのです。

そしてその頃学生だった僕が思いついた,祖父への最大の貢献は,「みこしを作る」事でした。

小さな時から宮田の家に生まれた唯一の男の子である僕を大切に育ててくれたのは,祖父の御神輿を継がせたかったからなんだと思います。

だから,荒削りでも,自分でお神輿を作って,仲間を集めて,お神輿が上がっている姿を祖父に見せることが出来たら!

きっと,少しだけでも,元気になってくれるかな,恩返しできるかな,と思いました。

たった一人ではじめたみこし作り

しかし,その頃の僕は技術もないし,どうやって作ればいいのか全然わかりません。

よくわからないけど,図書館に行って関連の書を読み漁り,大学の芸術学科の授業に参加し、来る日も来る日も朝一番に木工室へ行って毎日ノミを研いでいました。

きちんと金物も研げるようになるのは本当に大変で,あまりにいつも木工室にいるので芸術学科の学生に間違われたりもしました。

とにかく一生懸命,何度も何度も失敗し,材料を無駄にし,大学内で作業を進めていました。

すると,当時の同級生が俺も手伝うよ,と声をかけてくれ,少しづつ仲間が増えていきました。

気がつくと毎日みんな大学やサークルが終わると作業場に集合し,深夜明け方まで毎日作業を進めていました。

時には20人以上も集まって皆黙々と作業をしていた事もあったのを覚えています。

渡御当日,祖父が来た

渡御当日,その日も前日は徹夜でした。

半年以上もかけて作り上げたみこし。

製作に関わったみんなも疲労が顔に出ています。

その日に向けて,半纏を作ったり,たくさんの仲間を集め,技術は無くても時間と手間と思いを出来るだけ込めて,精一杯作りました。

屋根だけはどうしようもなかったので,竹を使って製作しました。

渡御の予定は夜からです。

昼過ぎになると,祖父は到着しました。

なんだか恥ずかしくてその時の表情はきちんと見れませんでした。

祖父はいてもたってもいられず,最後の仕上げに自ら道具を取って手伝ってくれました。

ついにみこしが上がった

そしてついに,みこしが上がります。

その日は大学の学園祭。

クライマックスには,後夜祭のステージの近くで数百人の学生達の前で,みこしを披露します。

集まってくれたたくさんの仲間達。

共につくり,思いを寄せ,少しづつ,少しづつ作り上げたみこし。

その真柱に,最後に皆で名前を刻みました。

揃いの半纏で,担ぎ上げたみこしの重さを,僕は決して忘れません。

ステージの上から遠くに見えた祖父と祖母は,笑っていました。

みこしという物語

祖父はいつも言っていました。

「みこしの一番良いところはね,一人じゃ上がらない事なんだ。

おみこしを上げるには,たくさんの人の協力が必要。

担ぐだけじゃ無くて,準備や,後片付けも,色んな人が色んな風に関わってやっと御神輿が上がるんだよ」

僕は今までたくさんの神輿に関わって来ましたが,そこにはいつも物語がありました。

多くの人が力を合わせ,奇跡を起こしていく,約束を果たしていく様子がそこにあるのです。

「お神輿を担ぐ」ということは,たくさんの要素があるのだと思います。

しかしそこには必ず,人の営みがあり思いがあります。

その思いが純粋であれば,その物語は美しく,そして神輿も美しく動くのでしょう。

当時の僕が出来る祖父への精一杯の貢献は,みこしを作る事でした。

御神輿の中心にあるものは

今回の武蔵美のみこしも,僕が学生時代作ったみこしも,思いはどこまでも純粋です。

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軸になるものは違えど,

僕の「祖父への思い」に賛同し,たくさんの人が協力してくれました。

御神輿を担ぐ事はとても重く辛い事です。

しかしそこに肩を入れ,共に楽しく担いでくれるのは,その中心にあるものが純粋だからです。

もちろん,ただただ担ぐのが好きだから,肩を入れる人もいるでしょう。

しかしそれ以上に,その中心には純粋で真っ当な思いがなければなりません。

僕はこれからもそんなみこしをつくり続けて行きたいし,担ぎ続けて行きたいと思います。

「インスタ映え」と「言挙げせず」の比較論

 昨今,様々なイベント,観光地,お店などで「インスタ映え」がキーワードとなっています。

人気のSNSであるインスタグラムに載せるためのいい写真を撮れる事が,成功の鍵を握っているかのように言われています。

一方で,日本の古い考え方として「言挙げせず」という言葉があります。

これは,大雑把に言えば「多くを語らず,言葉にしない」という事ですが,例えば祭りの未来を考えて行く上で両者の違いは何なのか,比較してみましょう。

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インスタ映え」の目的

 そもそも何故,「インスタ映え」する必要があるのか。それはSNS,つまりインターネット上での情報の拡散を狙い,より多くの人に伝えたいからです。

現代社会の一般的な考え方に,ものの価値の基準は,評価する人数であるといった基準があります。

つまり,何人がその情報を見ているか,とか何人がいいね!したかなどで測られます。

確かにそれは数字となり客観的な評価基準を得ることができるので,現代社会に合った,合理的な方法であるとも考えることが出来るでしょう。

しかし一方で,神社や祭りなどで,写真の撮影は一切禁止されていることがあり,その方法で1000年以上守られて来たのです。

その根本的な考え方の違いは何なのでしょう。

「言挙げせず」とは

 厳密にいうと,神道においての「言挙げせず」は少し捉え方が異なりますが,今回は「多くを語らない」という意味で使います。

例えば先日訪れた奈良の御霊神社の記念祭で,新たに創られた能が奉納されたのですが,撮影は一切禁止となっていました。

また,神社の本殿の敷地は神主以外立ち入り禁止で,本殿の扉を開けることも見ることも一般の人には許されません。

こういったケースでは,物の価値=評価する人数,という在り方は成立していないのです。

言葉にせず,一切拡散しないことによりその価値を守って行く姿勢は,物の価値を考えて行く上でとても重要な材料となります。

情報をOPENにする姿勢と一切をCLOSEにする,両者はどういったアプローチなのでしょうか。

ものの価値の根本的な考え方

上記のように,「インスタ映え」の場合,ものの価値基準=評価する人の人数で決まります。

いかに不特定多数の人達にその情報を広げて行くか。

つまり,その価値は客観的です。

母数を増やすことで,情報の価値は変わりますので,広告,という手法で価値を左右することが出来ます。

しかし,「言挙げせず」の考え方は,全く違い,ものの価値は絶対的です。

眼前に在る事実,それが祭りであったり風景であったりすることもあると思いますが,その絶対的な価値は変化することを望んでいません。

なので,そこにいる人達,またそれを守り知り伝え聞いた人達以上に拡散されることを諒としません。

なので、その情報を知るための母数は増やす必要が無いのです。

そしてその価値は人々がずっと大切にすることで守り,高めていったのです。

むやみに情報を拡散するとどうなるのか

絶対的な価値のあるものを客観的な価値基準で測ろうとすると,第三者が見たときにその価値がよくわからなくなってしまいます。

つまり,乱暴な言い方をするならばどんなに素晴らしいものであっても,何にも知らない人は,いいね!が1000あった方が素晴らしいと思うわけで,いいね!が100しかないものはその程度であると思ってしまうわけです。

また,情報は拡散されることで,「簡単に手に入る」ようになります。

人々がずっと大切にして来たものが,指一本で見聞き出来るようになり,指一本で扱われます。

そういった行動は,絶対的な価値を失わせることになります。

大切なものを守って行くには

大切にされて来たものをこれからも大切にして行くためには,情報を選択し,ものの価値を見定めて行くことが必要です。

こちらにも書きましたが

nobuya.hatenablog.com

誰でも簡単に参加できる,ということは同時に簡単に不参加できる,という意味でもあります。

そういう風に扱って行くことで段々と絶対的な価値は下がって行くのです。

間口を広げることと価値を下げることは違います。

危機的な状況にある祭りの場合,全く発信をしなければ誰も知らないうちになくなってしまうこともあります。

しかし,何を大切にしなければならないのか,そこにいる人達が何を大切にして来たのかを見定めることが出来なければ,知らず知らずのうちに禁忌を犯すことになってしまうかも知れません。

日本人は,ものを大切にすることでその価値を守り,高めて来ました。

これからももっと大切にして行く方法は何なのか,それを真剣に考えていかなければいけません。

 

 

「日本人が大切にしてきた祭りの意味がわかった気がした」ベルリンにて

一昨年から毎年行なっている,ベルリンでの神輿渡御。

そこに来てくれたドイツ人が,一昨年と今年,お神輿を担いでくれて,日本のお祭りにも来てくれました。

「お神輿どうだった?」の質問に,彼はこう答えました。

「日本人が大切にして来た祭りの意味が少しだけわかった気がしたよ」

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海外でお神輿を担ぐという事

お神輿を担ぐ,ということは大変楽しいものです。

気心の知れた仲間たちと,重いけど一生懸命になってひとつのものを担ぐ。

大変だけどその楽しさは,病みつきになってしまいます。

しかし,その表面的な「お祭り騒ぎ」だけを取り上げて外へ発信することはしたくない。

特に海外で行うからこそ,純粋で本質的でなければいけません。

「伝えたいものは何か」を明確にしなければいけない

寄せられる神輿渡御への批判

想定していたことですが,海外での神輿渡御にあたり批判も寄せられました。

「あんなの神輿じゃない」

「ただ騒いでいるだけだ」

「日本文化を汚さないでくれ」

さて,それでは,神輿とは,祭りとは,日本文化とは,一体何なのでしょう?

全国様々な祭りがあって,各地に祭りに対するプライドがあり,それはとても素晴らしい事なのであまり言及するのは嫌なのですが,少しだけ。

「神事としての祭りを行うならば,きちんと服装を揃え,足袋をはき,鉢巻を前下がりに巻くようにすべきです」

と,お叱りを受けたのですが,はて,そんな風に祭りを行なっている地域がいくつあるのでしょうか?

祭りの装束に関しては,各地域本当に様々です。

衣装論はまた長くなるので次回にしますが,僕が伝えたかったのは「表面的な」祭り文化ではないのです。

表題にもありますが,「日本人が大切にしてきた祭りの意味」を伝えなければわざわざベルリンで神輿をあげる必要はありません。

衣装や,担ぎ方などその表面では無く,深奥にあるもの,それを再現しなければいけないのです。

再現したかった「感情」

文化,と呼ばれるもののひとつの本質的な機能として,「感情の再現性」があると思います。

つまり,例えば茶道,書道,華道のような象徴的な日本文化でも,伝え,作り出したい瞬間はそれにより得られる豊かな感情,感覚であって,その瞬間を作るための手法としての文化であると言えます。

つまり,神輿を上げる際も,一年に一度,「神輿を上げなければ出会えない感情」を創り出せる事が出来なければ神輿という文化を伝えたことにならないのです。

そしてそれは,ベルリンという土地で,ベルリンにいる人たちと共有しなければいけない。

半纏を来て,足袋を履いて,鉢巻を巻いて・・・という「型」からでは無く,再現すべき感情を目標に置いてから逆算し,その場所で最大限可能な範囲で実行していかなければいけません。

そうやって上げた神輿は,祖父が製作し,数十年前,故郷で担がれていた。

そこに込められた思いを再現し,継承していく事が僕の挑戦となります。

そしてそのお神輿に触れたドイツ人が,

「日本人が大切にしてきた祭りの意味がわかった気がした」と言ってくれたことには大きな価値があり,向かっていくベクトルが間違っていないことを確認する事が出来ました。

お神輿を上げてよかった

ベルリンには,毎年岡山から神主さんも来て頂いて,神事を行い,しっかりと「お祭り」が成されます。

そして,そのお神輿がある事でたくさんの人が出会い,共に担ぎ,酒を飲み,夢が生まれる。

その中心に祖父が作った神輿があること。

僕はそれを本当に誇りに思います。

日本人が大切にして来た祭りの力を,神輿の力を,僕はまたさらに見出していきたいと思っています。