宮田宣也のブログ/明日がもっとスキになる

今,守るべき,つなぐべきこころって何だろう。

引き継ぐという事〜「津波なんかで,伝統を絶やすわけにはいかない」

2011年,東日本大震災がありました。

僕は南三陸町へ震災後お手伝いに行き,当時石巻市雄勝町というところへ訪れました。

目の前にあったのは,瓦礫の山。

そして,ひっくり返ってしまった神社。

「放っておいたら撤去されてしまうこの神社の材料を使って,みこしを作れないかな 」

避難所で生活していた方に声をかけて頂きました。

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軽トラックの中で

 一緒に材料を取りに行ったのは,硯組合の高橋さん。

この雄勝町は,600年続く硯の生産地なのです。

しかしもちろん,硯の生産工場も流失してしまいました。

産業の再開も目処が立たず,まずは街の再建が最優先課題です。

「でも,祭やりてんだよなあ」

高橋さんは言います。

「今はそんな事言い出せない。会議の場でも,話題はもっと深刻なものばかり。

だけど本当は,こんな時だからこそ,みんなを元気にする祭がしたい」

僕は二人で,軽トラックを走らせながら話を聞いていました。

ボランティアという立場で,外の人が出来る事をずっと考えていました。

僕はこの時,もしかすると祭を行う事が僕たち外部の人間だからこそ出来る事なのかもしれない,そう思いました。

材料を拾って

神社があったのは,雄勝小学校の真上の丘です。

そして,瓦礫だらけの昇降口の軒下には,真っ二つに割れた神輿が置いてありました。

毎年この里でもお祭りがあって,祭の日にはこの神輿を出していたそうです。

もし自分のふるさとお神輿がこんな姿になっていたとしたら・・・

苦しくて,悲しい風景でした。

真っ逆さまになった神社の境内。

その中から,利用できそうな材料を探します。

しかし多くが波を被り,利用できそうなものはほとんどありませんでした。

なんとか拾い集め,荷台に乗せます。

津波なんかで

帰り道,高橋さんはこう言っていました。

雄勝の硯は,600年続いてきたんだ。先人が命がけで繋いできたものを,津波なんかで,絶やすわけにはいかない。」

真っ直ぐに前を見て,力強くおっしゃっていました。

ぐちゃぐちゃになった街の中を支援された軽トラックに乗る,僕と高橋さん。

高橋さんにとって,硯を継承していくという事は,この街をもう一度復興させるという意味です。

僕はその時,継承するという意味と,その覚悟を目の当たりにしました。

どんな事があっても,続けていく。

そして,次世代に襷を渡す。

そのためには,自分が生きる時代に責任を持ち,自身がそのど真ん中で生き抜かなければなりません。

祭という伝統

僕は祖父から,そして先人から引き継いだふるさとの神輿と祭があります。

全国を見ても,担ぎ手が減ってしまったり,運営が難しくなってしまっている状態も多い。

しかし,それでも続けている祭には,覚悟があります。

止めようと思えば,すぐにでも無くなってしまうでしょう。

その里に覚悟があるから,乗り越える方法が見つかるのです。

我が国では文化芸術に対する大きな波が打ち寄せています。

そして現状は荒涼たるものです。

目の前で無くなってしまう祭もある。

しかし,今を生きる我々が,覚悟と責任をもって次世代に襷を渡さなければなりません。

瓦礫だらけの街に走る一台の軽トラックを運転する高橋さんの,未来を見据える眼差しを僕は忘れる事はありません。

 

 

僕が学生時代初めてみこしを作った時のお話〜武蔵美の卒業制作のみこしを担いで思い出したこと〜

“すごい1日だった。 

ただただ、心が震えた。

すべてをかけて臨んだ神輿。

それが最高の仲間たちの手で上がったんだもの。

 

誰もがみんな一生懸命で。

 

誰もがみんな真剣で。

 

汗、血、涙、いのち。

そんな「人間」がここにはあった。

俺の純粋な思いが形になり、とんでもない神輿を創りあげた。

これで生まれた思い、絆。

 

それは本物だ。

 

みんなに見てほしかったんだ。感じてほしかった。

こんなにすれっからしの世の中だけど、一生懸命になって、ぐちゃぐちゃになって、創り上げる世界がある。

それで生まれる素敵なものがある。

 

みんなみんな大好きだ。

ありがとう、ただありがとう。

あんなに楽しくて、嬉しくて、感動した日々を、俺らは一生忘れないだろう。”

これは僕が学生時代つくったみこしが上がった次の日に書いたものです。

 

先日,神輿仲間の女の子が武蔵美の卒業制作でみこしを製作し,完成記念に渡御するというので担いで来ました。

出会った時から,「卒業製作にはお神輿を作って,一緒に学んだ仲間たちとキャンパスでみこしを担ぎたいんです」

と心を決めていた彼女。

実は僕も学生時代に仲間と一緒にみこしを作ったことがあります。

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祖父が坂を上がれなくなった

毎年元旦には,地元の神社で氏子親戚たちで協力して,神社で縁起凧を売ったり,甘酒御神酒を配ったりしています。

祖父は高齢でしたが,毎年大晦日の夜から神社へ行き,初詣の方々を迎えます。

深夜2時頃になると,一度家に戻るのですが,横浜は坂が多く,祖父の家も丘の上。

帰るためには,急な坂を登らなければいけません。

しかしその年は,祖父は坂を上がり切れなかったのです。

僕はとても心配していました。

いつも元気な祖父が,衰弱していると気付いたのはこの時でした。

僕には何ができるのか

それまでも少しづつ体調が悪化していた祖父。

しかしいよいよ,日常にも支障が出るようになり,僕は少し怖くなりました。

僕は二十歳で父を亡くしていて,急に体調が悪化して何も出来ないうちに入院してしまった様子をみていたので,祖父のためにも「何かしなきゃ!」と激動が体を貫いたのです。

そしてその頃学生だった僕が思いついた,祖父への最大の貢献は,「みこしを作る」事でした。

小さな時から宮田の家に生まれた唯一の男の子である僕を大切に育ててくれたのは,祖父の御神輿を継がせたかったからなんだと思います。

だから,荒削りでも,自分でお神輿を作って,仲間を集めて,お神輿が上がっている姿を祖父に見せることが出来たら!

きっと,少しだけでも,元気になってくれるかな,恩返しできるかな,と思いました。

たった一人ではじめたみこし作り

しかし,その頃の僕は技術もないし,どうやって作ればいいのか全然わかりません。

よくわからないけど,図書館に行って関連の書を読み漁り,大学の芸術学科の授業に参加し、来る日も来る日も朝一番に木工室へ行って毎日ノミを研いでいました。

きちんと金物も研げるようになるのは本当に大変で,あまりにいつも木工室にいるので芸術学科の学生に間違われたりもしました。

とにかく一生懸命,何度も何度も失敗し,材料を無駄にし,大学内で作業を進めていました。

すると,当時の同級生が俺も手伝うよ,と声をかけてくれ,少しづつ仲間が増えていきました。

気がつくと毎日みんな大学やサークルが終わると作業場に集合し,深夜明け方まで毎日作業を進めていました。

時には20人以上も集まって皆黙々と作業をしていた事もあったのを覚えています。

渡御当日,祖父が来た

渡御当日,その日も前日は徹夜でした。

半年以上もかけて作り上げたみこし。

製作に関わったみんなも疲労が顔に出ています。

その日に向けて,半纏を作ったり,たくさんの仲間を集め,技術は無くても時間と手間と思いを出来るだけ込めて,精一杯作りました。

屋根だけはどうしようもなかったので,竹を使って製作しました。

渡御の予定は夜からです。

昼過ぎになると,祖父は到着しました。

なんだか恥ずかしくてその時の表情はきちんと見れませんでした。

祖父はいてもたってもいられず,最後の仕上げに自ら道具を取って手伝ってくれました。

ついにみこしが上がった

そしてついに,みこしが上がります。

その日は大学の学園祭。

クライマックスには,後夜祭のステージの近くで数百人の学生達の前で,みこしを披露します。

集まってくれたたくさんの仲間達。

共につくり,思いを寄せ,少しづつ,少しづつ作り上げたみこし。

その真柱に,最後に皆で名前を刻みました。

揃いの半纏で,担ぎ上げたみこしの重さを,僕は決して忘れません。

ステージの上から遠くに見えた祖父と祖母は,笑っていました。

みこしという物語

祖父はいつも言っていました。

「みこしの一番良いところはね,一人じゃ上がらない事なんだ。

おみこしを上げるには,たくさんの人の協力が必要。

担ぐだけじゃ無くて,準備や,後片付けも,色んな人が色んな風に関わってやっと御神輿が上がるんだよ」

僕は今までたくさんの神輿に関わって来ましたが,そこにはいつも物語がありました。

多くの人が力を合わせ,奇跡を起こしていく,約束を果たしていく様子がそこにあるのです。

「お神輿を担ぐ」ということは,たくさんの要素があるのだと思います。

しかしそこには必ず,人の営みがあり思いがあります。

その思いが純粋であれば,その物語は美しく,そして神輿も美しく動くのでしょう。

当時の僕が出来る祖父への精一杯の貢献は,みこしを作る事でした。

御神輿の中心にあるものは

今回の武蔵美のみこしも,僕が学生時代作ったみこしも,思いはどこまでも純粋です。

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軸になるものは違えど,

僕の「祖父への思い」に賛同し,たくさんの人が協力してくれました。

御神輿を担ぐ事はとても重く辛い事です。

しかしそこに肩を入れ,共に楽しく担いでくれるのは,その中心にあるものが純粋だからです。

もちろん,ただただ担ぐのが好きだから,肩を入れる人もいるでしょう。

しかしそれ以上に,その中心には純粋で真っ当な思いがなければなりません。

僕はこれからもそんなみこしをつくり続けて行きたいし,担ぎ続けて行きたいと思います。

「インスタ映え」と「言挙げせず」の比較論

 昨今,様々なイベント,観光地,お店などで「インスタ映え」がキーワードとなっています。

人気のSNSであるインスタグラムに載せるためのいい写真を撮れる事が,成功の鍵を握っているかのように言われています。

一方で,日本の古い考え方として「言挙げせず」という言葉があります。

これは,大雑把に言えば「多くを語らず,言葉にしない」という事ですが,例えば祭りの未来を考えて行く上で両者の違いは何なのか,比較してみましょう。

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インスタ映え」の目的

 そもそも何故,「インスタ映え」する必要があるのか。それはSNS,つまりインターネット上での情報の拡散を狙い,より多くの人に伝えたいからです。

現代社会の一般的な考え方に,ものの価値の基準は,評価する人数であるといった基準があります。

つまり,何人がその情報を見ているか,とか何人がいいね!したかなどで測られます。

確かにそれは数字となり客観的な評価基準を得ることができるので,現代社会に合った,合理的な方法であるとも考えることが出来るでしょう。

しかし一方で,神社や祭りなどで,写真の撮影は一切禁止されていることがあり,その方法で1000年以上守られて来たのです。

その根本的な考え方の違いは何なのでしょう。

「言挙げせず」とは

 厳密にいうと,神道においての「言挙げせず」は少し捉え方が異なりますが,今回は「多くを語らない」という意味で使います。

例えば先日訪れた奈良の御霊神社の記念祭で,新たに創られた能が奉納されたのですが,撮影は一切禁止となっていました。

また,神社の本殿の敷地は神主以外立ち入り禁止で,本殿の扉を開けることも見ることも一般の人には許されません。

こういったケースでは,物の価値=評価する人数,という在り方は成立していないのです。

言葉にせず,一切拡散しないことによりその価値を守って行く姿勢は,物の価値を考えて行く上でとても重要な材料となります。

情報をOPENにする姿勢と一切をCLOSEにする,両者はどういったアプローチなのでしょうか。

ものの価値の根本的な考え方

上記のように,「インスタ映え」の場合,ものの価値基準=評価する人の人数で決まります。

いかに不特定多数の人達にその情報を広げて行くか。

つまり,その価値は客観的です。

母数を増やすことで,情報の価値は変わりますので,広告,という手法で価値を左右することが出来ます。

しかし,「言挙げせず」の考え方は,全く違い,ものの価値は絶対的です。

眼前に在る事実,それが祭りであったり風景であったりすることもあると思いますが,その絶対的な価値は変化することを望んでいません。

なので,そこにいる人達,またそれを守り知り伝え聞いた人達以上に拡散されることを諒としません。

なので、その情報を知るための母数は増やす必要が無いのです。

そしてその価値は人々がずっと大切にすることで守り,高めていったのです。

むやみに情報を拡散するとどうなるのか

絶対的な価値のあるものを客観的な価値基準で測ろうとすると,第三者が見たときにその価値がよくわからなくなってしまいます。

つまり,乱暴な言い方をするならばどんなに素晴らしいものであっても,何にも知らない人は,いいね!が1000あった方が素晴らしいと思うわけで,いいね!が100しかないものはその程度であると思ってしまうわけです。

また,情報は拡散されることで,「簡単に手に入る」ようになります。

人々がずっと大切にして来たものが,指一本で見聞き出来るようになり,指一本で扱われます。

そういった行動は,絶対的な価値を失わせることになります。

大切なものを守って行くには

大切にされて来たものをこれからも大切にして行くためには,情報を選択し,ものの価値を見定めて行くことが必要です。

こちらにも書きましたが

nobuya.hatenablog.com

誰でも簡単に参加できる,ということは同時に簡単に不参加できる,という意味でもあります。

そういう風に扱って行くことで段々と絶対的な価値は下がって行くのです。

間口を広げることと価値を下げることは違います。

危機的な状況にある祭りの場合,全く発信をしなければ誰も知らないうちになくなってしまうこともあります。

しかし,何を大切にしなければならないのか,そこにいる人達が何を大切にして来たのかを見定めることが出来なければ,知らず知らずのうちに禁忌を犯すことになってしまうかも知れません。

日本人は,ものを大切にすることでその価値を守り,高めて来ました。

これからももっと大切にして行く方法は何なのか,それを真剣に考えていかなければいけません。

 

 

「日本人が大切にしてきた祭りの意味がわかった気がした」ベルリンにて

一昨年から毎年行なっている,ベルリンでの神輿渡御。

そこに来てくれたドイツ人が,一昨年と今年,お神輿を担いでくれて,日本のお祭りにも来てくれました。

「お神輿どうだった?」の質問に,彼はこう答えました。

「日本人が大切にして来た祭りの意味が少しだけわかった気がしたよ」

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海外でお神輿を担ぐという事

お神輿を担ぐ,ということは大変楽しいものです。

気心の知れた仲間たちと,重いけど一生懸命になってひとつのものを担ぐ。

大変だけどその楽しさは,病みつきになってしまいます。

しかし,その表面的な「お祭り騒ぎ」だけを取り上げて外へ発信することはしたくない。

特に海外で行うからこそ,純粋で本質的でなければいけません。

「伝えたいものは何か」を明確にしなければいけない

寄せられる神輿渡御への批判

想定していたことですが,海外での神輿渡御にあたり批判も寄せられました。

「あんなの神輿じゃない」

「ただ騒いでいるだけだ」

「日本文化を汚さないでくれ」

さて,それでは,神輿とは,祭りとは,日本文化とは,一体何なのでしょう?

全国様々な祭りがあって,各地に祭りに対するプライドがあり,それはとても素晴らしい事なのであまり言及するのは嫌なのですが,少しだけ。

「神事としての祭りを行うならば,きちんと服装を揃え,足袋をはき,鉢巻を前下がりに巻くようにすべきです」

と,お叱りを受けたのですが,はて,そんな風に祭りを行なっている地域がいくつあるのでしょうか?

祭りの装束に関しては,各地域本当に様々です。

衣装論はまた長くなるので次回にしますが,僕が伝えたかったのは「表面的な」祭り文化ではないのです。

表題にもありますが,「日本人が大切にしてきた祭りの意味」を伝えなければわざわざベルリンで神輿をあげる必要はありません。

衣装や,担ぎ方などその表面では無く,深奥にあるもの,それを再現しなければいけないのです。

再現したかった「感情」

文化,と呼ばれるもののひとつの本質的な機能として,「感情の再現性」があると思います。

つまり,例えば茶道,書道,華道のような象徴的な日本文化でも,伝え,作り出したい瞬間はそれにより得られる豊かな感情,感覚であって,その瞬間を作るための手法としての文化であると言えます。

つまり,神輿を上げる際も,一年に一度,「神輿を上げなければ出会えない感情」を創り出せる事が出来なければ神輿という文化を伝えたことにならないのです。

そしてそれは,ベルリンという土地で,ベルリンにいる人たちと共有しなければいけない。

半纏を来て,足袋を履いて,鉢巻を巻いて・・・という「型」からでは無く,再現すべき感情を目標に置いてから逆算し,その場所で最大限可能な範囲で実行していかなければいけません。

そうやって上げた神輿は,祖父が製作し,数十年前,故郷で担がれていた。

そこに込められた思いを再現し,継承していく事が僕の挑戦となります。

そしてそのお神輿に触れたドイツ人が,

「日本人が大切にしてきた祭りの意味がわかった気がした」と言ってくれたことには大きな価値があり,向かっていくベクトルが間違っていないことを確認する事が出来ました。

お神輿を上げてよかった

ベルリンには,毎年岡山から神主さんも来て頂いて,神事を行い,しっかりと「お祭り」が成されます。

そして,そのお神輿がある事でたくさんの人が出会い,共に担ぎ,酒を飲み,夢が生まれる。

その中心に祖父が作った神輿があること。

僕はそれを本当に誇りに思います。

日本人が大切にして来た祭りの力を,神輿の力を,僕はまたさらに見出していきたいと思っています。

祭の1日を作るためには,残りの364日を考えなければいけない

祭シーズンが終わりました。

年末,年明けに向け色々と準備をしています。

1年に1度のお祭り,その一日は華やかでとても楽しいものです。しかし,現在様々な場所でお祭りが衰退しています。

その1日を継続するためにはどうすれば良いのか?

それは,祭の1日に注目していても解決はしません。

残りの364日。そこに本当の鍵があるのです。

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ハレの日の祭は,日常の積み重ね

お祭りが行われる全国様々な地域。

その地域ごとに,様々な日常があります。

人の暮らしやコミュニュケーションが地域を作っています。

お祭りが大変盛り上がっている,というか本当に素晴らしい祭だな,と感じるところは,お祭りの内容もそうなのですがやはり日常の素晴らしさにあるような気がします。

こちらでも書きましたが

nobuya.hatenablog.com

「誰と祭するか」に主眼をおけば,やはり重要なのはその日以外のコミュニュケーションであることに気づきます。

地域で行うお祭りの場合,祭の1日だけでなく様々な行事を同時に行なっていたりします。

消防や,町内の清掃,正月の準備など,普段から様々なことを協力しているのです。

そこに,祭を作っていくための鍵があります。

「1日だけ神輿担ぎに行く」外の人間には出来ない

お祭りを盛り上げる,ということに注目するならば,その1日にどうやって人を集めて・・・とか,どんな催し物をして・・・。

とか,そういったことに目を向けがちですが,実は祭が充実するかどうか,またその祭が未来へ向け継続できるかどうか,にはあまり大きな意味を為しません。

それよりも,祭以外の日に地域,もしくは地域外でもどんなコミュニュケーションをして行き,どんな人と関わるかの方が重要です。

当日10人外部の人間を呼ぶよりも,地元の若者が祭に一人きっちり関わってくれることの方が,祭の未来を作って行くにあたり極めて重要な事となります。

いつも仲良くしている仲間たちと一緒に一年に一度お祭りが出来る事,そしてその約束を守り続けて行く事,それこそが祭の最高の魅力なのです。

「お祭り騒ぎ」は,本当に表面的な祭の一面であって,継続し,その祭を共に守っていく仲間となる事で初めて祭の魅力を知る事が出来ると言えます。

同志である事

僕も様々な祭に関わらせて頂いていますが,僕はその地域に深く参加することは出来ません。

そこに住むことは出来ないので。

しかし,各地域の祭を守り続けて行く人たちを同じ志を持ち,日常を歩むことは出来ます。

僕は各地のアニキたちが自身の故郷の祭の誇りを持ち,守る覚悟をもって日々過ごしていることに大きな勇気を頂いています。

全国の小さな祭が消えていっていることは事実なのです。

しかし,それを何とか出来るのは,絶対に地元の人たちです。

その地域が本気になって祭に取り組まなければ,祭の未来を構築する事は出来ません。

地域の祭,同時にその地域を背負って行くことは極めて困難です。

しかし,そこに覚悟を持って今の時代の祭の在り方に答えを出すこと。

それは,祭に関わる全ての人たちの力で見つけていかなければいけないのでしょう。

そのためにも,僕はまた明日から日常を精一杯生き,さらにそういった同志たちと情報やノウハウを交換しながら来年の祭を考えて生きます。

お神輿を担ぐってどういう事?

神輿を担ぐ際,まず神主さんが神事を行います。

御霊(みたま)入れ,といって神社からお神輿に神様を移しています。

それでは,神社の中,正しくは本殿の中に何があるのか,知っていますか?

 

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神社には拝殿と本殿がある

神社は通常,拝殿と本殿の2つからなっています。

僕たちが神社へ行って,お詣りするのは拝殿と言い,その奥に本殿があります。

本殿は聖域なので,通常神主さんしか立ち入る事は出来ず,中に御神体がおさまっています。

御神体は,鏡やお札,石,神像など様々です。

しかし,何も無い場合もあります。

何も無い,しかしそこには「存在」がある

本殿の中には,具体的なものは何も無い(何も無い,というと少し語弊がありますが)場合もあります。

しかしそこには,「存在」があるのです。

御神体の有無は,あまり重要ではなく,(通常何があるのか知りません)とても重要なのはそれが数百年,時には千年を超え大切にされて来たという事実です。

様々な時代を乗り越え,それでもそこに在る。

その奇跡の証明が,目の前に在るのです。

その「存在」の価値は人がつくって来た

御成敗式目の一文に,

「神は人の敬によりて威を増し,人は神の徳によりて運を添ふ」

という言葉があります。

神は,人が敬い思いを寄せることで力を増します。

神社の中に在る,「存在」は,長い間人が大切にして来たからこそ価値があり,その価値がまた人に恩恵を与えていく,という考え方です。

ですから,これまでもこれからも,神社やその土地,そしてその思いを大切にすることで,その価値と力を保ち続けていくことが出来るし,それが出来なければ真に継承していくことは出来ないのでしょう。

「祭=楽しい」という表面的な事実もありますが,しかし一体その一日は何してんのか,という事を少し考えてみてもいいのかもしれません。

お神輿は神様の充電装置

以前こちらの記事でも書きましたが

nobuya.hatenablog.com

お神輿は,神様,つまり本殿の中に在る「存在」の力を充電させる装置と考えることが出来ます。

その日,お神輿に乗ってたくさんの人に担がれ,里に降りてくることでより多くの人がさらに思いを寄せることが出来,「威を増す」ことにつながります。

「祭=楽しい」というエンターテインメントとしてだけ捉えていても,またそういう風にお神輿を担いでいても,もしかすると真に祭に参加しているとは言えないかもしれません。

数千,数万の人たちの汗と思いが染み込んだ担ぎ棒に触れ,お神輿を担ぎ上げることによってその「重み」は肩に伝わって来ます。

お祭の日,お神輿を担がせていただく,そこに思いを寄せる事は大切に紡がれて来た里の物語をまた,一つ前へ進めているのです。

「あなたと一緒に担ぎたいから」行くんです。

全国にご縁を頂き,様々なお神輿やお祭りに参加させて頂いています。

様々なお祭りがあって,その多様さは計り知れません。

色々なお神輿を担いで見たい,祭りに行ってみたい,と言う思いはもちろんありますが,どんな変わったことをしているとか,どんな激しいことをしているとかはあまり関係ないのです。

祭を行う地元の人がどれだけ本気で祭が好きか,その人と一緒に祭やりたいか,その一点です。

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「祭=楽しい」は間違い

僕はいつもそう思うのですが,お祭り=楽しい,お神輿=楽しいと捉えるのは,間違いです。

確かにお神輿を担ぐのは本当に楽しい事ですが,それを毎年続けていく事,たくさんの人たちとしっかり関係を作っていくこと,当日までの準備・・・。

「楽しい」お祭りの1日とその一瞬を作るために,大変な事はたくさんあります。

それをきちんと伝えられなければ,お祭りを続けていく事なんて出来ません。

「楽しい」1日を切り取るだけでなく,そこに至る大変さも同時に伝えていかなければ,文化は継承出来ないのです。

 

そこに本気のアニキがいるから

本当に一年に一度だけしか会う事が出来ない人たちもいます。

だけど祭の1日を作るために,一年間ずっと努力して来た人たちがいる。

祭以外でもたまに声をかけてくれたり,会いに来てくれたりする人たちがいます。

僕はそういった本気のアニキ達に会いに,そして一緒に祭をしに,行くのです。

有名だとか,大きな祭だとか関係なく,ただそこに,一緒に「祭」をしてくれるアニキ達がいる。

これから祭を背負って行く若者達がいる。

襷をもらおうとしている僕らは,「それでも」祭を続けていかなければいけない。

だから,僕らは同志として,呼応しながら祭をしていくのです。

「楽しい」だけのお祭なら,僕は必要ない

お祭は,「楽しさ」の裏に「苦しさ」「大変さ」があります。

お神輿を担ぐ事だって,重さと痛みに耐えながら1日を乗り越えなければいけない。

でも,同志たちと,一年に一度,その一生懸命を共有しにいく。

そして,共に戦い,共に酒を飲み,また来年,一緒に祭りやろう,と約束するんです。

そうやって,僕はお神輿を担がせて頂いています。

だから,ただただ「楽しい」だけの祭には僕はきっと必要ないし,そこまで一生懸命お神輿担ぐことも出来ないと思います。

里の人たちが本気だから,僕たちも本気になれるのです。

本当は外の人なんていなくていい

その日,自分たちが一年に一度,ご先祖様の時代からずうっと大切にして来た「神様」が里に降りてくる日です。

だから,それはショーでもないし,エンターテインメントでもない。

外から来た人たちを接待するために行なっている行事ではないのです。

ディズニーランドとは違う。

だから,本当は地元の人たちだけで,最高に楽しく,そして格好よく祭を行う事が出来ればいちばんです。

その最高に楽しい日に,知らない外の人を受け入れる事は,そしてもしそれが,「外の人がいなければ祭りが出来ない」と言う状況になっているのならば,里の人たちの選択は大変苦しいものなのだと思います。

その日にそこにいさせて頂ける事,お神輿を担がせていただく事,は本当に特別なことであるし,それだけの思いを汲まなければいけない。

そのために,その土地で長くたくさんの人たちに大切にされて来た里の「神様」に敬意を払わなければいけない,といつも思います。

「伝統」に触れるのであれば,そういった感性を常に磨き,行動していかなければならない,と強く感じています。