「祭の男」宮田宣也のブログ/明日がもっとスキになる

今,守るべき,つなぐべきこころって何だろう。祭の男,宮田宣也の祭ライフと,祭哲学について。

友情の国〜モンゴルでお神輿が上がった日〜

令和4年(2022年)8月21日、モンゴル首都ウランバートルにて日本より輸送されたお神輿が上がりました。 本記事では、両国の友好を願って日本人とモンゴル人の協力によって行われた渡御の様子を報告します。

なぜスロベニアでお神輿が上がったのか〜日スロベニア友好関係樹立30周年(2022)〜

令和4年6月、日スロベニア友好関係樹立30周年を祝って首都リュブリャナにて日本のお神輿が上がりました。

"祭でふるさと応援"「祭エンジン」の仕組み。〜過疎化,高齢化でも祭と神社を守っていくには〜

地域の美味しいものを食べてふるさとの神社や祭を応援することができる「祭エンジン」がテスト公開されました。 深刻な人口減少,増加する災害,高齢化による後継者不足。 今動かなければ,数百年の伝統が消えてしまう地域も出てくるかもしれません。 「祭エ…

コロナで祭は中止になったりしていない〜神社と人との関係性について〜

2020年,新型コロナウイルス蔓延により,日本全国に影響が出ています。 今年のイベントや祭は全部中止!と叫ばれていますが,神社の祭に限っては中止になっているところはほとんどありません。 どの神社でも必ず祭を行なっています。 祭は何をする日なのか,…

結婚式でおみこしを/神輿と御輿の違いについて

「結婚式でお神輿を上げたい!」 たまにそんな相談を受けます。 しかし,結婚式に"お神輿"を上げることは,NOです。 お神輿は神様の乗り物で,個人のお祝いに使用することは出来ません。 しかし,神様の乗り物で無かったとしたら。 答えはYESに変わります。 …

例大祭の日,コロナで神輿が上がらなくても出来ること

一年に一度,本当に楽しみにしていた日なのでさびしい気持ちですが,神輿渡御が出来なくても,もう一度例大祭の日を見つめ直し,出来ることはないかと探ってみました。

海外から見た日本文化〜リトアニア神輿渡御2020から学んだこと〜

令和2年8月29日,リトアニア首都ビリニュスにてお神輿の渡御が行われました。 昨年,"nowJapan"というイベントで渡御されてから2回目になりますが,今年2020年はリトアニアと日本をつなぐ「命のビザ」で有名な杉原千畝の生誕120周年とビザ発給80年の記念と年…

神社清掃のススメ〜もう一度御神輿を上げるために〜

コロナ禍により,春から現在にかけてほとんどのお祭りにおいて神輿渡御が中止になっています。 しばらく再開は難しく,さびしい一年となっています。全国では今できる祭の形としてオンラインでの試みがされていたり,規模縮小しての開催となったり変化が見ら…

湘南神輿甚句 歌詞まとめ(練習用歌詞映像付き)part2

神奈川県の湘南地域のお神輿で歌われる"湘南甚句"の歌詞を練習用の映像と音声付きで紹介します!今回は前回の記事に加え,さらに10曲を追加しています。

湘南神輿甚句 歌詞まとめ(練習用歌詞映像付き)part1

神奈川県湘南地域,また周辺で担がれる「相州神輿」"どっこい"での湘南甚句の歌詞,歌詞つき映像をまとめます。

人生を変えるたった三つの方法〜美しい言葉,表情,振る舞い〜

何気ない日常を変化させ,輝くような未来へしていくため,僕が日常心がけている3つの方法があります。 それは,「美しい言葉を使うこと」「美しい表情でいること」「美しい振る舞いをすること」です。 極めてシンプルですが,パワフルで普遍的です。

「秋の祭り」大嘗祭,新嘗祭,神嘗祭,相嘗祭。

令和元年を迎え,皇居にて大嘗祭が行われた事が話題になりました。現在勤労感謝の日,とされている11月23日には毎年新嘗(にいなめ)祭が行われます。それとは別に,神嘗(かんなめ)祭,相嘗(あいなめさい)祭という祭もあるのです。

「まつり」という言葉。どうやって生まれた?

我々が触れ,大いに楽しみ,心待ちにしているまつり。しかし長い歴史の中で,日本人はまつりという言葉をどのように扱い,どのような意味で使われてきたのか。

【史上初のブルガリア神輿渡御】アレックスとの約束を彼のお父さんへ/2019トリプルアニバーサリー

2019年10月19日,今年の日ブルガリア3つの周年を祝う式典が催されます。奉祝の行事として,神輿渡御が行われます。 ブルガリアで神輿を上げることは盟友アレックスとの約束でした。

地元の神輿渡御が中止。今年祖父の神輿は上がりませんでした。【令和元年春日神社例大祭】

一年に一度,仲間たちが集まり,神輿を担ぎ町を回る事。それは,集まってくれる仲間達,そして神輿を守って来てくれたご先祖様との無言の約束です。今年は、その約束を守れなかった。本当に大切な一日は、悲しく苦しい日となってしまいました。